「千と千尋の神隠し」が教えてくれること

               安徽三学院 祝安娜 

  

「千と千尋の神隠し」は子供向けのアニメだけでなく、大人にとっても社会や自分と向き合うための教科書だと思う。なぜかというと、何年ぶりにアニメを見返し、子供の頃とは全く違う心境になったからだ。 

千尋というキャラは、まさに自分を見失い、必死に探し、ついに成長できた普通人の象徴である。神々の世界に迷い込んだばかりの千尋は臆病で礼儀知らずの泣き虫だった。湯屋で経験するにつれて、千尋が徐々に成長し、勇敢で礼儀正しい少女になった。何が千尋を変えたのかというと、この神々の世界には自分しかいないのだから、速やかに成長しなければならない。この世界に来た後、ハク、釜爺とリンちゃんは千尋にこの世界で生きていけるコツを教えてくれた。幻の世界から千尋への愛こそ、一歩一歩成長させたのだ。 

千尋の両親は美食への貪欲で食いしん坊になり、ブタにされてしまった。お金に貪欲を生み出した人は湯婆に名前を奪われて、帰り道が分からなくなる。つまり、自分の欲望をコントロールできなければ、自分を失ってしまう。 

カオナシは現代の若者の縮図のようだ。彼は孤独で友達がいないので、人とのコミュニケーションの仕方さえ知らなかった。千尋に注目されるために、お金に飢える人を食べて、怪物になってしまった。生活の中で、こういうタイプの人は極端になりがちだが、実は満足しやすい。千尋のように、世界が「カオナシ」達に優しくさえすれば、「カオナシ」達も善意に満ちるような人間になると思う。 

千尋は私たちの心の善良さと勇敢さと強さを表す。湯屋で千尋は身分が卑しいが、身の回りの人に優しくして、最後にすべての人の尊重を勝ち取った。また、千尋は、自力でカオナシに居場所を見つけ、ハクの名前を取り戻し、両親を人間に戻してあげた。アニメの最後に、千尋は両親のもとに戻り、湯屋で起こったことをすっかり忘れた。髪留め用の紐の輝きだけ、あの経験が幻ではないことを明かした。「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」というシビレル台詞がある。欲望に満ちた今日のような社会においても、初心を守れば、たとえ一度迷っても、自分を取り戻すことができる。 

人生というのがいつも明日より今日のほうがいいと思っていた私は、時間の経つにつれて、一番いい月日が過去にあることに気づいた。子供の頃は大人になりたいと思い、大人になってからは過去を懐かしむようになる。 

「千と千尋の神隠し」という名前自体について自分なりの考えがある。「千」は見失った私たちのことを指し、「千尋」は、自分を取り戻すために、千万回も探すことを意味する。「千と千尋の神隠し」の素晴らしいところは、現実の残酷さを教えてくれながら、心の善良さを保つ方法を教えてくれるところだ。少女の千尋のように、私たちは未熟ながら成長しつつある。 

 
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