『火花』からお笑いを味わう

広東外大 梁采怡 

『火花』は私を日本のお笑いの世界に連れ込んだ。 

鮮やかな光を放つ花火は人々を魅了する。だが、一つ一つの火花に注目する人は少ない。同様に、お笑い産業という巨大な花火の裏で、火花のように散っていく多くの売れない芸人たちに目を向ける人は多くない。 

連合報によると、十年前お笑い産業の総生産額はもう二兆円を超えたそうだ。テレビをつけると、芸人の姿がどこにでも見られる。関連品も数え切れないし、専門の養成所も備わって、色んなことが体系化されている。日本の最先端産業の一つとなり、花火のように、皆に愛されている。故に、競争も非常に激しい。特に漫才ブーム以来、神谷のように抜きんでた才能を持ちながらも売れないことも珍しくない。インタビューで、陣内智則さんは「売れない時は本当にゴミのように扱われる」と言った。中川剛さんもパニック障害になった経験があり、相方のおかげで頑 張ってこれたそうだ。出世への長い努力、創造のための苦しい模索、互いに支え合うコンビ愛等々、それらは花火の輝きに圧倒されながらもそれを築く火花に違いない。笑いの裏には涙がある。そして、これこそがお笑いの魅力だと思う。 

でも花火は無闇に打ち上げると、かえって綺麗に見えない。花火もお笑いも常に観客の目線でどのように見えるのかを考える必要がある。「神谷さんに差別的な意識が一切ないのは分かっています。でも、一緒やと思われますよ」と『火花』には神谷が豊胸して徳永に𠮟られた場面がある。笑いと差別の境界はどこにあるのか。性別をはじめ、権利と平等が求めらる今日、以前は問題なかったネタも悪意があると思われる危険性がある。例えば今年の五輪では女性芸人を豚に見立て、「オリンピッグ」の掛詞を用いて笑いにしようという演出案が出た。女性に対する侮辱だと大変批判された。しかし、制限が多すぎると、創造の邪魔になるから、どう適当に笑いと差別の一線を画すのかは、今後の課題だと思う。 

でも、これはただ花火による僅かな影だ。『火花』の作者は上海の講座で「お笑いは国境を越えることができる」と語った。中国でも漫才やトークショーなどが増えてきている。お笑いは国籍を問わず、人の根底にある性格だ。が、笑いを誘うためには各国の個性を重視し、その国の事情をよく知っておく必要がある。お笑いには常軌を逸する言動が不可欠だが、そもそも「常軌」を知らなければ、「逸する」こともできない。 

私は今までに何度か花火を見たことがあるが、夜空に輝く美しい「花火」をただ眺めていただけで、それを織り成す無数の「火花」に注目したことはなかった。この『火花』を読んで、日本のお笑いについて深く知ることができ、それを通して真実の日本を見ることができた。今後も様々な異文化に興味や関心を持つだけでなく、「火花」のようにもっと細かいところまで注目したい。 

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