『嫌われ松子の一生』が教えてくれたこと

                                  

北京外国語大学 黄瑜瑩

 

この映画に出会う前、私は祖母のことが嫌いだった。 

高校二年生の夏休みのある日、祖母と道を歩いていると、向こうから隣のお婆さんがやってきた。祖母は笑顔で声をかけたが、お婆さんは一目見ただけで、偉そうに通りすぎた。祖母に対する、理由なき冷たい態度はいつものことなので、意外とは思わなかった。しかし、優しくされなかったくせに、ずっと親切な態度をとり続ける祖母に私は腹が立った。祖母に不満な顔を向けたら、夕焼けに当たった祖母のがっかりした姿に私は何も言えなくなった。 

人は自分に似た人間を嫌がるとよく言われる。おそらくそのため、私は祖母を嫌いになったのかもしれない。相手の感情を敏感に読みとったり、嫌われるのを恐れたりして、鬱病になるほど自分を苦しめたことがあって、すっかり疲れた私は、これから自分だけのことを考えて生きていこうと決めた。 

月日はこうして流れた。祖母は相変わらず、自分を苦しめながら人とつきあっていた。笑顔でいるときの祖母が本当に楽しかったかどうか、私にはわからなかった。一方、他人に関心をもたなくなった私は依然として幸せを手に入れることができなかった。  

そんなとき、『嫌われ松子の一生』という日本の映画と出会えた。 

松子さんは誰かがそばにいてくれるだけで、たとえ冷たく扱われてもいいと考えるヒロインである。実際に、彼女は何度も傷つけられた。そして、映画にこんな一言があった。「俺には、神のことなんてわからない。でも、もしこの世に神様がいて、それが松子さんのように、人を愛しても報われず、自分はぼろぼろに傷つく人なら、俺は、その神様を信じてもいいと思う。」これが私の胸に応えた。松子さんと祖母の姿が重なったからだ。傷ついてもなお、祖母は、他人を愛することをやめようとしなかった。反対に、私は他人に配慮しないことに決めた。私が気づかないうちに、人との絆も同時に失われた。映画の画面からふと窓の外に目を遣ると、確かに陽の光は、今までの光とは違っているように感じられた。 

そこで、私は引きこもりについて考えた。抱えきれないストレスのせいで破れかぶれになって、誰とも関わらないようになってしまう。世界に情熱を失うということだろう。しかし、ただ自分のことばかり考え、行動したら、人との関わりから生まれる愛も知ることなく、虚しさに襲われて、心が光を失ってしまうだろう。 

苦しみながら相手を受け入れるのは賢明ではない。しかし、時には私たちを傷つける絆をもち続けながら、私たちは生きていける。それゆえ、人間関係や生活などにおいて、自分を奮い立たせ、苦労があっても、愛をもって乗り越えるべきだ。心の光は、人との関わりから生まれ、愛と同義であることを、この映画が教えてくれたのだ。 

私はもう一度、松子さんと祖母のような人になりたいと思う。熱意を握り締めながら歩き続けたい。たとえ傷ついたことがあっても、人との絆を大切にしたい。 

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