毎日が小春日和

福州大学 黄如郴 

  

都市に住む大多数の人々は、毎日同じ仕事を繰り返す。耳に入ってくるのは上司の命令ばかり。いつも時計や予定で埋まったカレンダーを気にし、リラックスできず、次から次へと仕事が舞い込む。私はまだ大学生だが、都会に住む、こうした人々の生活と似たような生活に陥ったことがある。 

二年生の時、私は学院の宣伝部の部長になった。朝から晩まで椅子に座って仕事をする日々が続き、「勉強したい」と思っても、次々と舞い込む仕事の依頼に忙殺され、叶わない日々が続いた。仕事の進み具合を心配し過ぎて眠れなくなったことも多く、それはまるで「真っ暗なトンネル」のなかを永遠に進んでいるようだった。 

しかしそんな日々のなか、『明日も小春日和』という本に出会ったことで、私は、都会にない「人間の生活の本来のリズム」が、田舎に宿っていることに気が付いた。 

『明日も小春日和』は、津端夫婦の暮らしを描いたエッセイ集だ。農業を長年続けてきた妻・英子の希望もあり、退職した夫・修一は、都会の喧騒から離れて田舎に引っ越す。そして、何十年もかけて、家の修繕や菜園作りに勤しむのだ。 

これだけだと、単なる「田舎への憧れ」に過ぎず、その生活の労苦を無視しているように思える。しかしこのエッセイでは、田舎における日々のささやかな営みが細かく描かれており、そこに「自然のリズムに合わせた人間の生活」をひしひしと感じられるのだ。 

「大したことないと自分に言い聞かせて、不快なことは放っておけばいい」。「人生に真剣に取り組めば取り組むほど、人生にも真剣に取り組まれる」。こうした田舎に住む津端夫婦の言葉には、物事を大らかに見る態度とその細部に目を向ける態度という、矛盾した生き方が現れている。しかし、1枚の葉を見れば細い葉脈があり、それが森という大きなものの一部であるのと同様に、「大らかさ」と「繊細さ」は共存できるのだ。そして、この自然に合わせ、時に「大らかに」、時に「繊細に」生きているからこそ、津端夫妻の生活は豊かなのだ。他方で、自然のリズムをなかなか感じられない都会では、このバランスがとりにくい。人生に真剣であるだけでは疲れてしまい、嫌なことから逃げているだけでは身勝手に映る。こう見ると、「大らかさ」と「繊細さ」による「自然のリズム」を忘れた生活が、いかに人間の生活を貧しくするかがよく分かるのだ。 

そこで、勇気をもって一度立ち止まってみよう。そして田舎に出かけ、人間の原初的な「自然のリズム」を取り戻してみよう。そうすれば、当たり前になった生活リズムが見直され、バランスのとれた生活ができるかもしれないからだ。 

日本語の「小春日和」とは、暖かい太陽の光に満たされた、晩秋から初冬にかけての一時期を表すそうだ。しかし、自然に合わせた生活リズムを感じることができれば、私たちにとって「小春日和」は単なる一時期ではなくなる。 

そう、「毎日が小春日和」になるのだ。 

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