人間と自然との絆

江蘇理工学院 梁晨霞 

  

 

『リトル・フォレスト』という映画をこれまでに何度も繰り返し観た。映画の舞台は、東北地方の山々に囲まれて、商店も無いような小さな村。そこに住む村人は農耕を生業とし、日の出とともに働き、日が暮れたら休むという伝統的な生活習慣を続けている。主人公のいち子は都会でアルバイト生活に明け暮れていたが、せわしい環境にも馴染めず、色々と迷ったあげく、故郷に戻ることを選んだ。彼女は一人で畑を耕し、収穫し、自分で食べ物を作り、作り過ぎると友達と分かち合う。そんな彼女の毎日は充実と純粋さに溢れている。 

都会育ちの私がノスタルジーの気持ちでこの映画を好んでいるわけではない。ただ私の知らない農村の生活というものへの憧れや興味からだろうか。大学入学に伴い、生まれ育った所を離れ、別の都市へ行くことになったが、駅前の広場に出た瞬間、同じ町じゃないかとがっかりした。田舎にはそれぞれ特徴があるのに対し、都市はどこも一緒だという嘆きを聞いたことがある。今までそれほど多くの都市を見て回ったわけでもないが、その論には賛同してやまない。そんな私が一ファンとしてこの作品で感銘を受けたことはともかく、この映画が好かれた背景には何か理由が隠れているのではないだろうか。 

日本の人口の110が巨大都市である東京に集中しているという。なるほど大都市に住んでいると、その住み良さは分かる。例えば、食べたい物があるなら、スーパーで何でも手に入るのだ。必要なのはお金のみだ。しかし、自宅、職場、お店ですべての生活が完結するという便利さがある反面、私たちはいつの間にか本当の世界から遠ざかっているのではないだろうか。 

「生きるために食べる。食べるためにつくる」という映画のキャッチコピーが印象深い。現代生活に慣れている私たちは手軽に入手できる美味しい物を貪っていながら、食べ物の大切さを忘れつつある。例えば、スーパーに置いてある野菜や果物はきれいに処理され、家庭の食卓にそのまま並ぶが、そこには農業への感謝というのはさほど感じられない。財布さえ開ければ食べ物が口に入ってくるというような世の中になっているが、本当にそれでいいのかと時々不安になる。 

コロナ禍のためリモートワークを強いられているうちに、「脱東京」という動きの人が現れているそうだ。都市の人々から遠ざけられていた自然がもう一度身近な存在に戻りつつもある。このことはある種の怪我の功名だろうか。もちろん、いち子のような、自ら進んで田舎暮らしを選んだ人は、生活のコストなどよりも、自然に親しむことを大切にしているのだろう。 

耕作を人間と土地との約束とするならば、収穫した食材は自然からの贈り物である。この映画のおかげで、人間と自然との絆の尊さが国境を越えて一中国人の私の心にまで響いたわけだった。 

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