古から変わらぬ真と美

南京大学 陳晨 

「六歌仙」の一人、在原業平の名歌に「ちはやぶる神世も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは」があります。その歌牌にある、この歌で描かれた見渡す限りのあでやかな赤が、和歌との出会いでした。和歌は一見すると簡単な「五行三十一音」の中に誠実さ、きめ細かさ、質素さ、優雅さが尽くされています。和歌は古い秘宝で、「連歌」や「俳句」など多くの文学の貴重な宝が派生しました。その後について行くと、日本の文学、文化の貴重な片隅が垣間見え、あたかもはるか遠い歳月の扉を叩き、「奈良」に歩み入り「平安」を通り抜けるかのようで、漢風と和風の織りなす流転を感じます。この令和時代に入ってもなお、前代からの気風は残っています。『万葉集』に「初春の令月にして気淑く風和ぎ梅は鏡前の粉を披き蘭は珮後の香を薫す」という歌があり、令和はここから取られたものです。和歌を再読すると、その描く事物、伝える情緒、通底する感覚には古から変わらぬ真と美があります。 

描く事物 

四季の景色、自然の万物、生活の諸事。歌人は四季の移ろいをよく捉えており、『古今和歌集』には春の梅、夏のホトトギス、秋の紅葉、冬の雪といった区分があり、欧陽脩に言う「四時の景は同じからずして楽しみもまた無窮なり」の感があります。歌人は自然を尊び、桜、柳、月、雪、梅などの自然を題にした和歌は少なくありません。小野小町には「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」、大伴家持には「春の日に 萌れる柳を取り持ちて 見れば都の大道し思ほゆ」、阿倍仲麻呂には「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」という歌があります。歌人が詠んでいる事物は漢唐の詩人と似ているところもありますが、よりのどか、耽美で、ふんわりしており、趣があります。たとえば伊勢大輔の「八重桜 けふ九重に にほひぬる」といった言葉は和歌には珍しいのですが、すこぶる唐詩の迫力があってこの歌は非常に好きです。歌人が生活を述べているものについては、『詩経』の「飢うる者は其の食を歌ひ、労する者は其の事を歌ふ」の特徴が『万葉集』でやや際立っています。上は貴族、下は平民、詠み人知らずの歌まで収録してあることには感嘆します。繙けば奈良時代の絵巻を開いたように、実際の生活のあれこれを体験できるのです。 

伝える情緒 

事物で情緒を伝え、悲しみにも程度があり、自由で誠実。「もののあはれ」と言うと『源氏物語』が想起されるかもしれませんが、私は和歌がその肝にあると思います。たとえば第一帖『桐壺』で林文月が訳した歌「かぎりとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり」は物語の中の人物の感情を直接表しており、きわめて少ない言葉で、塞ぎ込む気持ちの抑えがたさが述べられています。もののあはれは和歌を貫いており、物が心を動かし、心が情を生み、情が万物に解けて、「有我の境地」ないし死生に達して、人に足を止めさせるのです。歌人は「人に悲歓離合あり、月に陰晴円欠あり」〔蘇東坡「水調歌頭」の一節〕に通じているようで、世事の無常、生命の苦しみと短さ、恋慕の思い合い、別れの悲しみといった感情を歌に鋳込んで、表に出すこともなく非常に熱く、さながら悲しみを自由に詠じる魂です。入道前太政大臣の歌「花さそふ あらしの庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり」のように。このような悲しみは哀悼ながら、死によって尽きることはなく、短い「生」の輝く美しさを重んじ切に願いさえするもので、「生」の慌ただしさと「死」のしかたなさの超越を試みています。たとえば「君がため 惜しからざりし命さへ ながくもがなと 思ひけるかな」、さらに「昨日といひ 今日とくらして 明日香川 流れてはやき 月日なりけり」など。和歌は雄壮偉大な史詩のようにみなぎる気勢がなく、個人の述懐にすぎませんが、ますます真実みが感じられます。歌人の誠実な感情は得てして「朝ぼらけ 有明の月と見るまでに」といったおぼろげな幽玄の境地に潜んでいます。感情は細くちょろちょろと流れる水のように、ゆっくりと心に浸潤して、非常に感動させるのです。 

通底する感覚 

一人が口ずさめば三人が歌い、万里が思いを共にする。和歌の「五七調」は中国詩歌の騒体、楽府体と似ています。詩歌がもし言葉と文化を越え、各国の文意に合う韻律で吟じられたなら、きっと「余音、梁欐を繞りて三日絶えず」〔『列子』湯問〕となるでしょう。これは和歌がおのずから備える音感の優位で、たとえ意味が分からなくとも、抑揚や間をもたせる語調の中で歌人の感情を味わい、共に悲しみ、共に楽しむことができます。方東樹は『昭昧詹言』の中で、「詩は情景を描写する道具であり、情は中で深く長く溶け込み、景は外で真に実に輝く」と述べています。和歌の共鳴は音律から来るだけではなく、世事の百態に対する歌人の本心の現れにもよるもので、その身になって考えられるものさえあります。歌人の山上憶良による『貧窮問答歌』には、「寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 有りのことごと 着襲へども 寒き夜すらを」とあり、その苦境の中で彼は「我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒ゆらむ 妻子どもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る」と感嘆しています。これは〔杜甫の〕「大いに天下の寒士を庇ひて倶に歓顔せむ」と同工異曲です。確かに、和歌は満月よりも残月を偏愛し、錦の如き牡丹よりも舞い散る桜に惚れ込んでいます。しかし、歌人は漢や唐の詩人と同様に「人として生まれ」、同様に詩歌を創造しており、世の中の万事、万物に直面した気持ちの表現には同様に真心がこもっています。王国維が『人間詞話』で「大家の作品の語る感情は必ず心にしみわたり、描く情景は必ず視野を広げ、耳目をすがすがしくする。その言葉は口をついて出るようになり、不自然にいじられることはない」と述べていますが、まさに和歌はその手本たりえます。 

『古今和歌集』仮名序には「たとえ時事は推移し、栄枯盛衰は交替しても、和歌はとこしえに存在している」〔『古今和歌集』仮名序に該当する内容の記載はありません〕とあります。和歌は唐詩や宋詞といった文学の精髄のように古から変わらぬ美の力を持っており、異なる土地で何千何万世代も磨かれてきました。伝承と交流の中で新しい時代の活力を奮い起こし、異なる国の人々が共に万里のかなたの真心を詠じられるのです。最後に、川合康三教授の言葉[1]で結びとしようと思います。「子供が詩を読み上げるように詩歌そのものに帰って、心の雑念を取り除き、最も質素、最も純真な感動に帰ろう」。詩歌を出て、この初めを忘れない心は私たちが生活に対して最も本当に期待することでしょう。 

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