猫の視点から理解した世の中のでたらめさ

 香港理工大学 徐嘉璐 

猫は現代社会の角度から見るとかわいく、腕白で、たくさんの家庭の重要な一員にもなっています。しかし古代エジプトでは、猫は死を司る神霊、古代中国では九つの命を持つと考えられており、中世の欧州では、猫は悪魔の化身と見なされていました。そうして、多くの古典名作の中で、猫は神秘的な色あいを与えられています。人々のこうした心理の特徴に基づいて、猫の視点から述べる作品も生まれました。たとえば夏目漱石の処女作『吾輩は猫である』です。 

この作品は人の視点から述べられた通常の小説と異なり、猫の視点から書かれており、家庭で飼われている猫が傍観者の角度でじっくり物語を見ています。『吾輩は猫である』の語り手は猫で、人語を解し、人間同様の主観的な思想を持つこともあり、人間社会で起きる出来事に対して自分の見解を出すこともできます。このような手法は社会に対する風刺を表現するうえでより有利です。また、小説に出てくる他の猫の性格はその主人のイメージと関係しています。たとえば、車引きの飼っている猫は体格が良く乱暴で勝手な性格ですが、壮健で高慢な性格というその主人の特徴と呼応しています。猫のイメージを通して主人を映し出しているのも、この小説の風刺性の大きな現れです。それに、小説中の物語の社会背景は、夏目漱石のいた時代の背景を原型としています。作品の中で夏目漱石は社会の官吏の制度、教育制度に対する批判、つまり当時の社会に対する風刺をしています。 

初めて通読したとき、ふと文章に筋道がないように感じました。しかし繰り返し推察していくうち、やっと作者の意図を悟ることができたのです。苦沙弥先生の家で暮らす猫は見聞や所感が人間と違い、決まった休憩時間もなく、気が向いたとき好きなことをしていられます。なので、物語が猫の視点で述べられていると、人物より高い全知の視点も、猫に限られた狭い視点もあります。こうした書き方は、作者が猫の口を借りて社会を風刺するのに役立ちます。ちっぽけな猫が人間より広い視点と高い地位を持っていることで、人間社会を観察し、世間の真理を明らかにするのです。 

夏目漱石は当時はびこっていた金銭至上主義を極度に憎んでおり、また小説中では当時の教育、官吏などの制度を非難しています。二大実業家の対話を耳にした後、猫は彼らの勢力の強大さを理解し、同時に個人の能力が社会での地位に対してとても大きく影響することにも気づきます。鈴木と金田は自分と一族の背後にある財力と権力によって、社会上の高い地位にのし上がりました。このユーモアがあり辛辣な筆法で、小説の風刺の意味合いがさらに増しています。小説中の猫の主人の原型は、実のところ作者の夏目漱石本人です。猫の主人の苦沙弥は胃病とはしかを患っていますが、夏目も同様に胃病とはしかを患っていました。また夏目は小さな猫を飼っていたことがあり、その猫が小説の主人公になったのです。苦沙弥は俗世間に憤慨しており、社会にはびこる効率主義を鼻であしらっています。その頑固な性格のせいで、よけいに社会とは相容れないものがありました。猫の話はよく急所をずばりと言い当てており、端から端まで俗世間への軽蔑と批判を帯びています。その個性も主人にますます似ています。ひねもす主人を批判していた猫も、最後にはその主人と同じ結果に陥ります。猫の視点を借りた主人の苦沙弥に対してのこうした風刺は、実のところ自分の生活と事業が思うようにならない作者の不満や自嘲だと理解できます。 

実は、作者の夏目漱石の思想の根源を追及すると、中国の漢の文化と切り離せません。夏目は漢の文化を偏愛していました。漢学の造詣はきわめて深く、しかも大量の漢詩を書いており、古代中国の春秋戦国時代の名著についての研究もかなりしています。彼の打ち出す思想や主張は大部分が作品の中で体現されていますが、その思想も大部分は中国の古代の哲学から出ています。夏目漱石は晩年に「則天去私」なる哲学の概念を打ち出し、社会を批判する道具としていました。このうち「則天」という二字の本源を遡ると、中国の古典『論語』が出典です。『吾輩は猫である』を書いた時点では、夏目は「則天去私」という思想をまだ文章に整理していませんでしたが、その中の思想は少しずつ作品の中に反映されています。道義に従って、私心を取り払うことは、自らの作品と当時の社会に対する夏目の希望であり要求でした。中華文化の夏目漱石に対する影響の深さは、その名前からも見て取れます。本名は金之助で、漱石という筆名は『晋書』の「枕流漱石」の故事から取ったものです。 

また夏目漱石の作品が中国の古代思想から受けた影響の深さにより、彼はある世代の中国の作家に影響を及ぼしてもいます。夏目と同様に深い自覚を持ち、しかも国や民のために心を砕いていた魯迅は、日本での留学時にその影響を受けました。魯迅の作品は大部分がその巧みな風刺の手法をくみ取っています。『吾輩は猫である』の中で、夏目は第三者である猫の視点から人の内在する意識と考えを明らかにして、日本社会の中の問題を探っています。魯迅の作品は、自分の考えを明示することにより、中国の封建社会の中で存在する複雑な問題を批判しています。夏目は自然主義の潮流に抵抗して、日本で20世紀の文学が発展することを望んでいました。魯迅は医学を捨てて文学の道に進み、文字を通じて中国の後れている思想文化を改革しようと望んでいました。夏目の風刺文学の影響を深く受けた魯迅は、こうして中国近代の著名な思想家、文学家になったのです。その思想は中国の近代文化の発展に対して、同様に重要な推進作用を果たし、新しい世代の中国の学者に影響しました。 

『吾輩は猫である』の内容はすべて猫の視点から出発しているため、人間社会のでたらめな現象に対する猫の思考が生まれています。作者の夏目漱石は、ユーモアたっぷりの独創的な創作手法で、日本近代文学史上の重要な地位を築くとともに、中国の近代文学の領域に影響したのです。 

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