文学の景観の「和洋折衷」と宗教の理想の「二元融合」

  

 中国人民大学 于孫 

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は誕生して以来ずっと、文学の景観と宗教の理想という2つの大きな領域それぞれにある二元対立のため、精妙な解読の張力と深い理論空間を持っています。一方で賢治は天文学、気象学といった西洋科学の概念体系を総合的に使って、日本文学の景観を現代的に描き直しています。他方では敬虔な日蓮宗信徒でありながら、キリスト教に特有なイメージと隠喩をくっきりと描写しています。これに鑑みると、文学の景観の「西洋の現代日本の伝統」を経糸、宗教の理想の「キリスト教日蓮宗」を横糸に、『銀河鉄道の夜』は「2次元4象限」の理論空間を含んでおり、「この世の天国」に到るための謎を織りなしています。 

これまでの先行する研究を総合して道理を探ると、多数の学者はこの2組の矛盾に対して対立化分析を行い、一方向の解答を提供しがちだということに気づくのは難しくありません。しかしこのパスは賢治の本意を誤解していると考えているため、現代性と現代主義の理論の基礎を参照した上で上述の謎の解答を探求しようと思います。 

一、「銀河」の文字当て:日本の伝統と西洋の現代性の橋 

作中にある半分西洋、半分和風の童話の町をそぞろ歩き、幻想的で理性の光も瞬く空いっぱいの天の川を仰ぎ見る、賢治の現代性に対する独特な理解は本書の研究する永久不変のテーマです。一方で、賢治は西洋のクレヨンで日本の景色を塗り直し、伝統的な意味上の「現代的国境の延長」を体現しています。他方では、西洋の色調の背後で、日本の文学伝統もまた密かにスケッチしています。これは先見性があり、1970年代来の国際学術界の現代に世界に対する「伝統の共存」の命題の再考と一致しています。 

『春と修羅』と同じく、このとけ合う現代性はまず自然科学の体系に対する創造的な活用に体現されています。「20世紀の資本主義の科学技術とイデオロギーの大きい網を編む」ことを通して、「芸術領域……感知性と表記性の延長の瞬間」を達成し、「心から離れない美:まばゆい色彩、しなやかな純潔さ、疾走する幻想」を創造すると同時に、和洋の融け合った「想像であるがはっきりとした本体論と存在論の全体」を築いているのです。 

しかしさらに独創的なレベルで、この融合は賢治が「銀河」という語句にしかけた「文字当て」に体現されています。考察してみたところ、日本文学において、銀河の描写は往々にして二重の伝統に従っています。一つは、銀河を常に地上の河川あるいは海洋と共に描写すること。もう一つは、銀河を七夕あるいは盂蘭盆会と結びつけること。さらには初秋の季語にもなっています。『万葉集』にある人麻呂の短歌から、『おくのほそ道』での佐渡の夜空に対する芭蕉の詠嘆にいたるまで、上述の伝統が長く続いています。そして本作の時空の背景は「銀河の祭り」の夜の町で灯籠流しが行われる川辺に設定されていることで、実体河川と天の川の相互呼応がなされています。また盂蘭盆会の祝日の雰囲気を踏襲して、生死、彼岸のなど要素の伏線が引いてあります。 

この文字当ての別の側面では、銀河の英語表記(Milky Way)が話の筋の示導動機(Leitmotif)を構成しています。銀河の初めて取り入れてから、賢治は途切れることなく銀河と牛乳の間の連想を示し強調しています。そして牛乳を取り戻して家に届けるのがジョバンニの行動の目的です。このため「ミルキーウェイ」の連想が「ミルクを取る道」の途中で呼び起こされて、銀河の旅の直接な誘因を構成しています。以上を総合すると、銀河の日本文学での伝統がマクロな時空の背景を構成し、洋式の連想が景物の具体的な比喩と人物のミクロの動機を提供して、文学の景観の「和洋折衷」が実現したのです。 

二、「一念三千」の列車:罪と罰と贖いの二重の軌道 

しかし、たとえ人のあこがれる近代的な景観の中に身を置いても、主人公の心は遠くの幸せの対岸には着きません。ジョバンニの困窮して苦労する生活は、現代文明の中にいる人の疎外と苦しみを体現しています。彼の孤独、臆病で翻弄されやすい人物像は、現代主義の最も根本にある問いを訴え――精神の失われる中で、新しい救いと望みを切に求めるものです。この追跡こそがこの銀河の旅の究極の意味――永久不変に理想を救済する聖地の巡礼です。 

伝統上、研究者による本作「法華文学」という性質の定義にはパス依存が存在します。国柱会 、保阪嘉内 、菩薩品に関する研究は、すでに論理のクローズが構成されているようです。しかし筆者は、賢治の創意はキリスト教の救いの道を日蓮宗の「一念三千」理論に吸収したところにあると思っています。 

『摩訶止観』の中で「一念三千」は三千もの性質が一念の間に収まることと定義されています。世界観のレベルで、これは三千世界の存在と融通を意味します。方法論のレベルでは、この世の浄土を創立するには生けとし生けるものの幸福を切に願わなければならないことを示しています。賢治は作中でキリスト教の天国を三千世界の中の一つと見なして、キリシタンの幸福を尊重し祈っています。第九章のほんとうの神さま論争の緩和処理は、末尾の長編の宗教宣伝ともども最終稿では削除されていますが、いずれもこの理念の明らかな証拠です。 

だからこそ南十字駅と北十字駅の間を走る銀河列車に最初にキリスト教での意味上の罪、罰、贖いの救いの旅が示されているのですが、同時にわざとそれぞれの段階でキリスト教と日蓮宗のパスに内在する一致が明示されてもいます。蝎、鳥を捕る人、ザネリの罪は7つの原罪の象徴であり、また非人類中心主義における自咬の罪を区切る境界線にも合っています。タイタニック号の遭難者の天国に対するあこがれは、近代のキリスト教の家族団らんの光景であり、また日蓮宗の崇高な孝行に対する提唱でもあります。ジョバンニの自らを犠牲に衆生を救う信念は『イザヤ書』53章の場面を写していますが、「法華経」の諸菩薩品の核心の追求でもあります。ここから、賢治は二つの宗教の間に調停し得ない対立が存在すると思っておらず、日蓮宗が世界観と方法論の上でキリスト教を含めるという考えこそ彼の志を立てて求めた理念だったと分かります。 

おわりに 

「降る雪や明治は遠くなりにけり」明治年間の近代を抱えた鼓動の高鳴りと高揚を載せ、大正時代の民主主義が咲き誇るロマンと夢まぼろしを吟じた、『銀河鉄道の夜』は現代文学の頂点にある作品であり、また現代主義思潮の宗教への展開でもあります。百年ほどになりますが、賢治の理想は依然としてきらめき磨滅することのない光芒を放っています。異郷の天の川が映し合って輝きを生み、異教の人々も互いを祝福し、遠くで見守り合うという光を。 

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