北京大学 馬驤
塩野米松の『留住手芸2』を読めたことは幸いでした。同書では19人の伝統工芸の職人が自ら叙述しています。親切、誠実な語気で、私の全身の焦りを払い、荷馬車が山道をゆっくりと進み煙が炭焼き窯の中から細長く立ち上り漂ってくる往日の時空へと連れ帰ってくれました。
率直に言うと、目次にある「漁師、石屋、木炭焼き、木挽」といった職業に最初は引かれず、かえって大自然に対する破壊と略奪ではないかと疑念を覚えていました。読み進めてやっと、自分が単純で見識が狭かったことに気づきました。山林を遠く離れている人は、大自然と言えば脳裏に浮ぶのは快晴、清い川、青い山といった大雑把な情景だけです。自然との向き合い方も同じくただ2種類のはっきり相反する大雑把な態度しかありません。全くの保護主義か、手段を選ばず目先の利益ばかり考えて将来を考えないかです。この本を読み終え、これらの伝統の職業の目から見ることを試みてやっと、人と自然の関係がいかほど豊かで微妙かを意識しました。
彼ら自然環境条件をよりどころとして暮らしを立てている職人は、自然に対する感謝と畏敬の念を維持しています。漁師の目に映る大自然は天気に関するあらゆる状況を残さず示し、人々が従順に従わなければならない存在です。海女は初春に海に入るときの身にしみる寒さ、盛夏に海に出た後の灼熱、クラゲやウツボの奇襲、目まぐるしく変化する海流に耐えながら「本当に海には感謝しないと」と絶えず賛嘆しています。彼女たちはアワビを採取しますが、人類が当然受けるべきものだとは思わず、大自然の惜しみない贈り物だと見なしており、大先輩たちの「海の中では欲を張らないこと」という警告をずっと肝に銘じています。質朴な同業組合の規約は、持続可能な発展を守るのみならず、畏敬の心を一代一代と伝えていくものです。
確かに、こうした職人たちの仕事は、ある角度から見れば捕獲、伐採、改造ですが、彼らは大自然と常に付き合っており、とても親密で、自然の周期に通じていない都市部の人間よりも、自然界の鑑賞や配慮のしかたを理解しています。彼らは精妙な技巧を使って、動物、植物、粘土、岩石を最大限に生かして、最も良い状態を見せているのです。茅葺き屋根師は茅葺き屋根にも命があると考えており、「自然界の生物と同じように呼吸しつづける必要がある」と言います。造園師は、木は芸術家、種はそのすべての生命力が凝集した芸術品だと言い、また木は自分の生存環境を好まないならば自殺するとも言っています。これらの言い方は、日本列島の上で悠久の歴史を持つ「万物に魂がある」信仰を生き生きと示しています。滕軍教授が「日本を透視する」という番組で、神道の薫陶を受けている日本人は、慎重に自然界のかすかな変化を観察して、身の回りの一人一人の神に仕え、決してなおざりにしないため、日本には山の祭、海の祭、滝の祭があり、筆塚、針塚、包丁塚があるのだと紹介していた記憶があります。このような「万物を畏敬する」信仰は、世界の多くの地方で現れては消えており、日本でだけ今なお保存され、その特色となっています。
日本の特色に話が及ぶならば、西洋の主流の観点とは大きな差がある書中の表現を挙げなければなりません。たとえば山本総助は常に枝打ちをしていますが、その目的の一つは森林の照度を20%前後に維持することです。光の照射が弱すぎると樹木は枯死してしまい、強すぎると灌木の茂みが樹木の養分を奪ってしまいます。彼は「弱肉強食は、時には確かに強者が勝つことができるが、間違いだ」と説明します。これはほとんど進化論に正面から挑戦し、ある種の卑しい存在に対する尊重、弱者に同情する温情を体現するものです。同様に、造園師の千葉喜彦は奇異な樹種の導入を好まず、はばかりなく拡張するニセアカシアも嫌っており、もっぱら現地でよく見られる、ぱっとしない木々を選んで育成しています。彼はどんな木にも自分が最もきらめくいい時間というものがあり、人々がそのきめ細かい表情や姿を発見、理解する値打ちがある、と考えています。そこには一筋「もののあはれ」の思想もあるのかもしれません。そのため、彼は孤児を収容するように地の自然選択の中で滅びやすい種を「養子にもらい」、一心に保護して、ある適当な時機で再び大自然に返しています。西洋の生態学では、自然との関与を減らすことで生態系のバランスを破壊しないようにと提唱されていますが、職人自身の存在論理は、自然を人為的に関与、利用しなければならないと見なしているところにあります(職人の英語artisanは「人為的、不自然」を表すartificialと同じ語源です)。この矛盾をどのように解決するか。日本の職人たちは弱々しい事物に対する哀れみ、詳しい観察、重視を通じて、彼らの自然に対する改造を合理化しました。
工業化以前の労働は、骨は折れるが楽しいものでした。職人たちの道具と方法は自然に合うものです。たとえば石が形成されたときの筋模様(「石目」)に沿って石を切断する、叩いて柔らかくしたマンサクの枝でアシを縛るなどです。労働の中で、天地の万物といっそう親しみ、万物をより熟知しており、心身もより整い、健全です。彼らの心の声をお聞きください。「キノコを摘んでいると、ほかのどんなことも忘れられて、むしゃくしゃしていた気持ちもすぐよくなってくる」「この仕事には苦痛を感じるところなんてない」「私の仕事は大自然の中で、自然の材料を取って、自身も大自然の一部みたいで……お金はないが大自然があって、とても満足に感じている」。機器による大規模生産が労働者の異化をもたらし、私たちは異化した第n世代で、とっくに慣れて気づかなくしまっています。私たちが理想とする仕事は、格子の間に座り、毎朝の太陽も見ず、年の明け暮れも分からず、画面上の数字、表、レポート、プログラムをいじって、非常に巨大な「大工場」の中の見えないねじになって、自分が全貌を見られない製品を製造することです。実は、労働が異化されていない頃は、生活はこのように充実していて、余裕があって、価値あるものでした。自分は天気によって仕事のリズムを掌握し、風土に応じて作業の方法を決め、あらゆる工程を自ら経験して、労働の果実は見えて、つかめるものだったのです。
しかしそれは結局昔の景色で、自分の職業が間もなく消えてなくなる心配を述べる人は多く、大勢はほぼ決まっておりどうしようもないと思っている人も、職業が生き続けるため、育成体制の構築を呼びかけ、力の限りを尽くして奮闘している人もいます。これほど忠実に詳しく記録して、一時代の挽歌を残した作者に感謝しています。貴いのは、この口述史は職人の語気と笑い声をとどめており、読んだとき生き生きとしていることです。彼らは高度な教育を受けていませんが、その言葉は詩情に満ちています。焼きの炎を極光にたとえ、屋根を葺くことを家の化粧にたとえ……
「自然は最も良い師」とは、自然の中で、彼らは最も優れた詩論をマスターしたようです。