風が巻き起こるかのように無常な人生、歩みながら大切に

 

海南大学 王程傑 

宮崎駿監督の同名の映画を見たことがあり、中国の歌手、買辣椒也用券の同名の歌曲を聞いたことも、ネットや映画解説、歌曲の紹介に触れたこともあります。しかしこの両作品の本源である、日本の作家、堀辰雄の小説『風立ちぬ』については、ある本を読もうとしたときその存在を知った作品で、また存在を知ってすぐ読もうと決意した小説です。 

まずは、この作品を読んだきっかけを紹介せざるを得ません。先日、文学課の試験に備えて、教科書上の翻訳を整理していたとき「風立ちぬ、いざ生きめやも」の訳文「縦有疾風起,人生不言棄」を目にしました。このフレーズを読んだときに思ったことが2つありました。実によく訳されている、というのと、必ずやこの本を読まなければ、というものです。 

『風立ちぬ』は日本の新心理主義作家、堀辰雄による中編小説です。きめ細かい描写の手法、深い思想の内包と耽美の芸術的境地で多くの読者の心をつかんでいます。想像と異なったのは、主人公が努力の末に幾重もの困難を乗り越えて成功を勝ち取る奮起の物語ではなく、生と死と愛を探求する小説だったことです。耽美的な愛情物語が述べられていました。主人公は肺結核を患う婚約者の節子に付き添って山奥へ療養に向かい、節子の人生の最後のひとときを共に過ごします。節子が世を去っても、主人公は生活の中に彼女の存在を感じ続けていましたが、のちに『レクイエム』の中に心の落ち着き先を見つけ出して、次第に悲しみから出て行き、引き続き生活していくのでした。全体が主人公の視点から描写されており、あまり物語に起伏はありません。淡く微かで、静かな感じを受けます。 

本作を読み終えて最も強く感じたことは、軽々しく諦めないことや人生の困難に向き合う前向きな気持ちではなく、平凡な生活についての思考です。ゆえに「風立ちぬ、いざ生きめやも」に対する理解も異なり、さらに資料を当たってみると、このフレーズには目下5種類の主流翻訳版があることに気づきました。最初に自分を本作に引きつけた燁伊版は「縦有疾風起、人生不言棄」〔疾風が巻き起ころうとも、人生は諦めない〕。施小煒版は「風乍起,合当奮意向人生」〔風が急に吹いても、人生に向かい奮起すべし〕。素馨版は「起風了、努力活下去」〔風が巻き起こった。努力して生きていく〕。小岩井版は「無常如風起、人生不可棄」〔風が巻き起こるかのように無常だが、人生は諦めるべからず〕。岳遠坤版は「起風了、要努力活下去嗎?不、無須如此」〔風が巻き起こった。努力して生きていくのか?いや、その必要はない〕。この5種類の翻訳のうち、1つ目と2つ目の「疾風」と「乍起」には突然で猛烈な感覚が強すぎ、「不言棄」と「奮意」は励ましの色が濃すぎるため、小説のあっさりとした基調とあまり似合わないのではと個人的には思います。3つ目はあっさりしすぎて、堀辰雄のきめ細かい手法と少し食い違いがあります。5つ目は消極的すぎて、小説の結末とあまり合いません。総合的に見て気に入ったのは、4つ目の「無常如風起、人生不可棄」です。「無常」は風のイメージが内包するものを解釈した上で、また文章から伝わる思想にも似合っています。原文には「私たちがいま私たちの幸福だと思っているものは、私たちがそれを信じているよりは、もっと束の間のもの、もっと気まぐれに近いようなものではないだろうか」とあるのです。確かにそのとおりで、主人公と節子が夏の日の高原で愛し合う、ロマンチックな愛の物語であるべきところ、ほどなく節子が肺結核を患って、人生の無常としっかり対応しています。 

では、堀辰雄はいったいどういった思想を伝えようとしていたのでしょうか。千人の読者の中には千人のハムレットがいるものです。この小説の中から純真な愛情を感じた人も、困難に向かい合う勇気を収穫できた人も、死を正視する態度を学んだ人もいます。自分は本作の中から堀辰雄の自然に任せる人生観を読み取り、そして彼の平凡な生活に対応する態度に共鳴を覚えました。彼の自然に任せる人生観の伝えるものは妥協ではありません。いまどきの一部の若者に見られる「寝そべり主義」でもありません。生活がもたらす試練を受け入れ、耐えることです。この点は、文章の多くの細部で述べられています。最も代表的だと思われるのは、「……しかし人生というものは、お前がいつもそうしているように、何もかもそれに任せ切って置いた方がいいのだ。……そうすればきっと、私たちがそれを希おうなどとは思いも及ばなかったようなものまで、私たちに与えられるかも知れない」です。意気軒昂として大声で困難への宣戦を呼びかけるのではなく、あまりにも消極的に自ら放棄しているわけでもなく、生活を受け入れて微かな期待を持っているのです。堀辰雄の人生の経歴と合わせて考えると、あまり奮起するまでもなく、平然と生活を受け入れること自体とても勇気ある態度なのだと分かります。4歳のとき母が再婚。19歳のとき東北地方の大地震でその母も失い、のちには師の芥川龍之介が自殺。この小説も作者本人と婚約者の矢野綾子をモデルとしています。ずっと陰影に覆われていた堀辰雄に生活を克服するような激しい言い古された言葉を求めることはできないと思います。彼にとっては、困難に直面したとき逃げない態度がすでに最高の勇敢さなのですから。生活の中の幸福について、彼は「おれたちに許されるだけのささやかな生の愉しみを味わいながら、それだけで独自にお互いを幸福にさせ合えると信じていられた。少なくともそれだけで、おれはおれの心を縛りつけていられるものと思っていた」とも書いています。資料を調べると、『今昔物語集』[i]が堀辰雄の霊感の源だという説が見つかりました。これには一理あると思います。彼はそこに見られる生活の百態の一面を受け継いで、生活の本質について自分の理解を持っているのです。確かに、死や災難に直面して、人が実際にできることはとても少ない中で、どうしようかというとき、やはり受け入れてから、力の及ぶ範囲でそこにある幸福を大切にするのです。 

宮崎駿監督の推薦の言葉に、「この物語は未来に不安を抱く現代人に捧げる」とあり、堀辰雄の創作の精神を精密に伝えています。現実はどうしようもないことばかりです。生活の苦しみに直面したら、それを受け入れるのです。無理して頑張り激高する必要はなく、悲嘆に暮れることもありません。未知の生活に直面しても、追憶に浸る必要はなく、そこにある手の届く幸福を大切にするのです。 

ここまで書いてふと、「この世には、ただ一つの英雄的行為がある。それは世の中をありのままに見て、愛することだ」という言葉を思い出しました。まさに堀辰雄が伝えるように、幸福は恐らくとても短く、風が巻き起こるかのように無常で、あまり打てる手がないのなら、歩みながら大切にする態度で歩み続けていきましょう。 

 

 


石黑一雄.《浮世画家》[M].上海文出版社:上海,2011. 

  

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