浙江越秀外国語学院 応高璐
小説『ツバキ文具店』は日本の作家、小川糸が書いたもので、ユーモラスな回想する口ぶりで鎌倉の手紙を代書する文具屋を描いています。店主の雨宮鳩子が代書された手紙を受け取ってから、一連の物語が始まるのです。鳩子は多くの手紙を代筆してきました。ペットを亡くした人へのお悔やみ、友人宛の離婚報告、幼なじみ宛の挨拶状など、一通一通が異なる人生の感情を映しており、綴る過程も人生の成長の経験と鍛練です。生活の悟りが少しずつ積み重なるにつれ、鳩子は次第に祖母に対する誤解をといて、長いこと積もったお詫びの手紙を送りました。
祖母のカシ子は、ツバキ文具店の代書屋です。一人で鳩子を育て上げ、箸の上げ下げから文字の書き方まで厳しくしつけ、書簡のマナーを教えました。鳩子の印象にあるカシ子は厳しく氷のように冷たい人で、鳩子が「お祖母ちゃん」と呼ぶことすら許しませんでした。カシ子が世を去ると、代書屋の責任が鳩子の身に下りてきて、鳩子も先代の様子を学んで一歩ずつ成長し羽化しました。
ある猿のために書いたお悔やみ文が貴重な体験だったはずだと思います。小川糸のテキストでなかったら、私はあまりにも普通のお悔やみ文で程合いの処理がこんなにも多いとは永遠に思いつかなかったでしょう。手紙の言葉遣いは非常に精巧で、「何度も」、「また」といった繰り返しの表現があってはならないのは、死が再び訪れてうれしい人はいないためで、受取人の名前の側には敬意を表す語彙の必要がなく、結びの言葉さえ要りません。先代が残した文箱から鳩子は筆を選んで、しかも反時計回りに墨をすりました。お悔やみ文の準備は完璧に整えたものの、感情のない手紙が生者の手に届くとは限らず、共感が代書屋に必須の技能となりました。鳩子は自分の飼っていた金魚が死んでしまったときの情景、またおばさんが亡くなったときの心が痛んだ場面を回想して、その悲しみと嘆きを文字に溶け込ませます。墨もふだんより薄くしたものを用い、哀悼と涙を示しています。涙が墨汁にとけて薄めてしまったという含意です。依頼人にとって、その手紙は濃厚な感情と望みを託すものです。文字は冷たいので、書簡を温もりで満たすため、鳩子は感情を墨汁に変えて紙を染めたのです。
園田さんの挨拶文は、幼なじみに元気でやっていると伝えるものでした。相手はとっくに所帯持ちなので、誤解で気まずくならないように、鳩子は女性的な筆跡でその手紙を書きます。使う紙と筆ペンも周到な熟考を経て、以前の筆は使わず、ガラスペンと滑らかなクリームレイドペーパーを選びました。そうした組み合わせが女性には一番かもしれません。やさしく温もりがあります。たとえまったく普通の郵便物だとしても、専用の衣装で包みます。一通一通の手紙はどれも人の切実な感情と委託をいっぱいに含んでおり、鳩子も先代と同じように依頼者それぞれに最も良い応対をしようと望んでいます。綿密に紙とペンを選ぶところから封印して発送するまで、すべての段階で鳩子は園田さんの立場から考えています。この手紙がそれまでの代筆と違うのは、園田さんの最も明瞭な感情の表現です。
一通一通の手紙は鳩子が出していますが、一筆一画の深いところに先代の厳しい教えが隠れています。文箱の中にも、書簡の儀礼の中にも先代の影が潜んでいます。長い代筆生活の中で、鳩子は次第に代書屋の職責とは他人が幸福を得るための助力だと気づきました。それはまさに先代がずっと守っていたことだったのです。
最後の手紙は先代に書いたものです。代書屋をしてきたこの数年で、鳩子はさまざまな依頼を受け、手紙を書く過程も人情の冷たさや暖かさに同情する体験でした。見たところ温度のない郵便物でも、実はすべて複雑な人間関係の体現で、告白、激励、別れ、陳謝...、何をするのであれ愛を伝える体現なのです。たとえ元通り仲直りすることができないとしても、相手を傷つけようとは思いません。人の心はすべてきめ細かいやさしさで真剣に対応しなければならないのです。最も親しい祖母と昼夜生活を共にすると言っても、口に出せないこと、言葉に出来ない感情はたくさんあります。鳩子は先代が自分に対して冷たいと思っており、死んでも自分に会いたくないだろうと考えていました。代筆の仕事で鳩子は男爵と知り合いますが、鳩子は男爵の家で育てられていたことがあり、彼女を抱いて出て行ったのが先代でした。ニョロが鳩子に先代が友人に書いた手紙を届けに来たとき、明らかに友人宛でありながら、行間にはそろって鳩子のあれこれが書かれていました。その手紙からあの厳粛な先代の姿は伺えません。単なる普通のおばあちゃんで、孫娘のあれこれを覚えていてもどう表現したものか分からないといった姿でした。QPちゃんの母が亡くなったとき、彼女は依然として母が誰よりも彼女を愛していると信じていました。QPちゃんの父がQPちゃんを背負うのを見て、鳩子は急に自分をそうやって背負う人がいたことを思い出しました。先代は鳩子とずっと親しくしていませんでしたが、彼女を育て上げたのは先代だけです。そうした気づかれなかった愛情は、硬い殻の中に隠れていたのかもしれません。手紙の中で鳩子は先代に対しての後ろめたさ、後悔と恋しさを表現しました。たとえ最も捨て難い血縁関係でも誤解に満ちており、手紙はある種のよりしろです。たとえ遅すぎるとしても、埋葬した感情たちが時空のトンネルの次々と重なる深い霧を通り抜けて来ることはできます。先代が鳩子に対して愛情を口にしたことは一度もありませんが、先代の愛情は手紙の中に、鳩子の生活の中に、そして人生の成長の時間の中に隠れていました。
今のようなネット時代、人間関係の扱い方は簡単で荒々しいように見えます。チャットが対面に置き換わり、グループでのお祝いメッセージが手書きのカードに取って代わって、人々は人間関係を恐れはじめています。しかしやさしく、きめ細かく対応するだけで、複雑な矛盾を解消できるかもしれません。古代中国にも代筆する職業があり、代書屋は捉刀人と呼ばれていました。書簡は最も古い表現で、最もはるかな歴史と濃厚な感情を持っています。鳩子の手で、書簡は感情があるため魂を与えられます。衝動的に出た言葉は人を傷つける恐れがありますが、文字はいつも注意深い磨き上げを経て一通の手紙となり、愛情が行間に隠れます。宛先人がその手紙を受け取ったときも、きっと差出人が自分に対応する根気良さとやさしさを味わうことができます。人を傷つける結末も文字に包まれ、痛む傷跡もやさしさに癒やされます。
古い書簡は、さながら差出人の名刺ですが、目下の多忙な情報化時代、愛する人に手紙を出さなくなってどれほど経つでしょうか。しばらく書いていない手紙を書こうかと思います。