宮部みゆき―「火車」を読んで

蔡蕙仙 延辺大学

 

 初めて日本の小説に触れたのは、中学生の頃「火車」という小説を読んだときであった。それから日本の小説にハマって、また日本という国を愛するようになった。「火車」を書いた作家は宮部みゆき、日本のミステリー作家で、私が一番好きな作家でもある。

 小説は主人公である刑事本間俊介に、妻の親戚の栗坂和也が尋ねてきて、行方不明になった婚約者関根彰子を探してほしいと頼みから始まり、本間の視点で事件の真相に近づいていく。本間は捜査で関根彰子が五年前の自己破産がバレて逃げたのだとわかり、彼女の自己破産の手続きを手伝った弁護士を尋ねるが、そこでとんでもないことを知ってしまう――彼女は関根彰子本人ではなく、関根彰子の身分を偽装していたのである。

 中学生の時は中国語で読んだが、日本語ができるようになって、二年生の時、日本語で書かれた原文を読んだ。初めて「火車」の原文を読んで、その文の繊細さがそのまま伝わってきた。訳本では感じられない日本語特有の静かな雰囲気、豊富な感情表現を心で感じ取ったのである。宮部みゆきの文章では、すべての人物がそれぞれの個性を持ち、文章の一字一句が一人一人の人物を生きているかのように形作っていた。何より素晴らしかったのは、主人公である新城喬子の人物像である。それは、捜査中に彼女と接触のあった人々から聞き出した内容を基に、彼女のイメージがほぼ完成されているというところだった。彼女がどんな境遇に遭ったのか、なぜ他人の身分を奪わなければならなかったのか、作品を読んでいるあいだに理解できるようになったのである。訳本では感じられなかった繊細さと表現の豊かさ、本を読み終わった時、思わず「これこそ本物の宮部みゆきだ」と叫んだ。

 「火車」は決して優しい物語ではない。この作品では、社会的問題としてカードローン、カード破産、借財と多重債務をめぐって、社会的地位が低く、親兄弟も、身内の人もいない、借金に翻弄される女性たちの人生を描いていた。まさに残酷で「優しさ」を云々する余地もないのではないかと思うかもしれないが、苦味の中にほんのり漂う甘さのように、宮部みゆきはそのリアルな残酷の中から暖かさを書き出したのだ。物語はものすごくリアルなものの、結末は優しいというのを強く感じた。また、非情な現実を語る一方、カードローンに追われる彼女たちのために代弁しているという感じも少しあった。普通カードローンと言えば使った人が悪いという印象があるが、これを読んで、自分にも充分に起きうることだと教えてくれたような気がした。これがまさに読者を魅了する宮部みゆきの作品の優しさではないかと思う。

 「火車」は私にとって日本という国に踏み入る「扉」のような作品であった。私はその扉を越えて、日本の美しさと優しさを知ることができた。そして今度は私がその扉をみんなに開けるために、翻訳者という、近くて遠い夢に向かって前に進みたい。

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