自分の価値というのは

李林億 北京語言大学

 

 初めて『銀河鉄道の夜』を読んだのは、確か小学生の頃だった。父は行方不明、母は病気に伏すジョバンニは毎日アルバイトで忙しく、学校では常に級友にからかわれている。だが、幼馴染のカムパネルラに限ってはジョバンニをバカにせず、時には彼を家に招くこともあった。しかしその唯一の友カムパネルラも、意地悪好きな同級生を救うために彼から離れて行ってしまう。そのようなジョバンニを私は気の毒に思い、そして、彼に幼かった自分の姿を重ねた。

 それはまだ小学生の時、友達が一人も出来ず、仲良くしてる同級生たちを教室の隅から眺め、一人寂しがっている私だった。あの時の私は、多分カムパネルラのことを少し恨んでいたのかもしれない。ジョバンニの唯一の友であるにもかかわらず、なぜ自分の命をかけてまでジョバンニをいじめた子を助けるのだろうか、当時の私には理解できなかった。

 大学生になった今、再びこの本を手に取って読むと、異なる視点でカムパネルラの行動を捉えることができるようになった。本当に大事なのは、他人が私に何を与えるかではなく、私が他人に何を与えられるかということだ。宮沢賢治さんが『銀河鉄道の夜』を通して伝えたかったのは、多分こういうことだろう。

 小学生の私は人との交流が苦手で、人と会話するのを避けてばかりいた。なのに、誰かが向こうから話しかけてくれるのを待っていた。ところが、中学校に入学して、学級委員長を務めてからというもの、状況が一変した。放課後に残ってみんなと教室を掃除したり、クラスで計画を立ててイベントを行ったりしたことで、自分がクラスの一員だということを実際に感じられた。運動会で汗みずくになりながら、声を枯らしてクラスの選手達に大きな声援を送ったのも、実に楽しいことだと思えた。そのような一つひとつの小さなことを積み重ねていくうちに、自分の存在価値を実感することができ、新たな世界が目の前に開けた。

 現代社会において、人々は人生に迷って方向を見失ってしまう時があるだろう。それは、心の中に帰属感がないからかもしれない。小学生の私と同じで、誰かが自分に手を貸してくれるのを待っているかのようだ。しかし、単に一方的に何かをしてもらうだけでは、自分がグループの一員として存在しているという帰属感は得られないのだ。他者に働きかけ、自ら主体的に他人に貢献してこそ、自分と他人との間に繋がりができ、心身を充実したものにすることができるのではないかと私は思う。

 物語の最後には、友人の死を知ったジョバンニが一人で家へ走っていく。彼はカムパネルラのことをどう思っているのか。彼の選択を理解し、物語で先に言った「本当の幸い」を探そうとするのだろうか。私もジョバンニと共に、自分自身の価値を見出し、誰かの役に立ちたいと思う。

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