人間と河童の異文化交流——芥川龍之介「河童」

嘉芸 遼寧師範大学

 

「河童は我々人間の真面目に思うことをおかしがる、同時に我々人間のおかしがることを真面目に思う。」芥川竜之介の「河童」は異文化を理解することの難しさと面白さを描いている。

主人公の「私」は河童の言葉を学ぶ過程で、とんちんかんな習慣があることに気づく。「たとえば我々人間は正義とか人道とかいうことを真面目に思う、しかし河童はそんなことを聞くと腹をかかえて笑い出すのです。つまり彼の滑稽という観念は我々の滑稽という観念と全然標準を異にしているのでしょう。」河童は出産の時、母親の下半身に電話をかけるように父親が声を上げて子供に尋ねる。「お前はこの国へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」「僕は生まれたくありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大変です。その上、僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」このように人間と河童の文化は正反対である。

では、河童と人間はどうしたら異文化を理解しあえるのだろうか。以前、いたずら河童の昔話を読んだことがある。ある河童は人間から「いたずら河童」と言われて嫌われていた。しかし、いたずら河童は、なんとか人間の役に立とうとした。日照りで苦しむ人間のために命がけで雨乞いをした。そして雨水をもたらし、最後、命さえも落とした。村人たちは沼の近くに小さなカッパの墓を立て、いつまでもカッパの雨ごいの話を語り伝えた。このように河童と人間が協力できる関係を作ることが大切だ。

主人公は、河童の言葉を習い、社会の習慣を理解しようとする。まるで留学生のようだ。大学に入ったばかりの頃の私もそうだった。黒竜江から大連にやってきた私は、ルームメートは初めて合う人ばかりだった。ゲームばかりしている王さん、おとなしくてあまり話さない李さん。一人一人違う生活習慣があった。でも一緒に生活するうちにお互いを理解し、協力できるようになった。

 人間と河童はどうしたらお互いに理解し、協力することができるだろうか。まず、お互いに相手の長所を学ぶべきだ。例えば、印刷技術の進んだ河童国の長所を人間に提供する。人間は食糧不足の河童国に食べ物の生産技術を提供する。食料が十分に確保されれば、カッパの人口問題や遺伝子劣化の問題が解決できる。音楽や文学などの芸術を通した交流も役立つと思う。河童国の音楽や小説なんて、わくわくする。お互いの国を観光するのも交流に役立つだろう。主人公は河童国と人間国を結ぶ架け橋になれるはずだ。

 「お見舞いにあがったのです。なんでもご病気だとかいうことですから。」最後、病気になった主人公を漁師のバックが見舞いにくる場面に感動した。芥川は河童と人間で外国と日本を例えている。主人公は決して病気ではない。異文化を理解できない人から見ると病気のように見えるのだ。異文化が互いに理解し助け合うことの大切さ。芥川が「河童」を通して考えていたのは異文化交流ではないだろうか。
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850