李仁彦 三江学院
人にはそれぞれ様々な悩みがある。私が読んだ小説「ナミヤ雑貨店の奇蹟」は、迷っている人たちに悩みを相談する場を提供している。
物語は、悩んでいる人が手紙に悩みを書き、勇気を出してナミヤ雑貨店のポストに手紙を入れると、翌日には店の後ろの牛乳箱に返事が届くというものだ。これを見るたびに、もし私が悩んでいるときに「ナミヤ雑貨店」があったらどれほどいいかと思う。確かに、悩みを抱えてどう解決したらいいかわからないとき、人からのアドバイスは心の中の霧を晴らすことができる。
物語の中で、相談者はたとえ受けたアドバイスが的確であっても、そのアドバイスを受け入れられないことがある。それでも相談するのはなぜだろうか。主人公の浪矢は息子からの質問にこう答えている。「多くの場合、相談者の心の中にはすでに答えがある。それでも相談するのは、自分の選択が正しいことを確認したいだけなのだ。返事を読んだ後、再び同じ手纸を書く人もいる。それは返事の内容が相談者の答えと違っていたからだろう」と。
実は手紙を入れる瞬間、その人の心の中にはすでに答えがあるのかもしれない。相談者は他人からの肯定を求めて手紙を書いていたのかもしれない。物語の中で、ボーイフレンドの病状が深刻で、自分の試合を諦めるべきか悩んでいた若い女性選手が最後に試合を放棄したエピソードのように、返信に書かれた答えが何であろうと、それを受け入れるかどうかは全て自分が勇気をもって選択し、その選択の結果に責任を負わなければならないと思う。
私は大学入試が終わった時、何を専攻したらいいのか悩んでいた。しかし、実は大学の専門を見た時、何を選択するかすでに私には答えがあったと思う。家族や友人、先輩たちに相談する中で、ためらいや迷いもあった。人の意見を聞いても、賛成もあれば、反対もあった。最終的に私は日本語を選んだ。他の人が私の考えに賛同しなくても、私はこの専門を選んだと思う。日本語科は授業の課程が多いが、それでも好きなものを学べるのは楽しい。
人生におけるいくつかの肝心な時に、私達は「選択」をしなければならない。誰もがよりよい未来への導きと暗示を得られるようにと望んでいる。続けるべきか、諦めるべきか、私たちに教えてほしいと望んでいる。
私たちが「選択」に直面したとき、本当は他人に意見を求める必要はないのかも知れない。人によって物事に対する考えが違うから、その選択も異なるのは当然だ。実はどのような選択であろうと、その結果は自分自身が導き出すものだ。自分で進むべき道を選択したからには、全身全霊でそこに向かい、堅持していかなければならない。それが人生の道理だと思う。