魅力的な古典落語と私

孫瑶  江蘇理工学院

 

外国語として日本語を勉強中の私にとって日本の落語は、外国の伝統話芸の一つに過ぎなかった。しかしある日、『昭和元禄落語心中』というアニメを見たことで初めて落語の世界の奥深さを知った。このアニメの主人公の強次はチンピラで、見ず知らずの大親分の身代わりに、刑務所に入っていた。その刑務所で慰問に訪れた八代目有楽亭八雲の落語を聞いた。そして八雲師匠の落語に衝撃を受けた彼は出所の足で師匠のもとを訪ね弟子入りを懇願した。今まで一切弟子を取らなかった師匠だが主人公の熱意を組み弟子入りを認めた。このアニメは何かの芸のために身を捧げるという熱血アニメにありがちな話ではなく、タイトルにもあるように、落語を愛し、落語に苦しみ、ある意味落語と「心中」を図る人生を送る落語家たちの命を懸けた物語である。

では人を笑わせるために存在するはずの落語の魅力とは何だろうか。同じ演目を幾度と聞いているにも関わらず、度々寄席に通い落語を楽しむ観客にとって、落語の存在とは何だろうか。ふと私にこのような疑問が湧いたので、落語について深く調べてみた。

落語とは一般的に古典落語と新作落語とに分けられる。古典落語は江戸時代中期から明治にかけて作られた演目で、新作落語は大正以降に作られた演目のことを指す。古典落語の演目数は明確には不明だが、現在寄席で演じられているのは二三百くらいしかない。同じ演目でも噺家ごとに異なる面白さがあり、高座のアドリブで雰囲気が変わり、観客はいつまでも見飽きないようだ。

日本の落語と似たような伝統話芸に中国の相声がある。大晦日にCCTVで催される恒例の番組に登場する相声は昔から中国人に好まれてきた。しかし現在のようなネット社会で常時ネタを満喫することができる状況は、近年の大晦日に披露される相声の興味を失わせた。舞台で頑張る芸人たちの姿を、ネタのパクリがないかと疑った目でチェックする観客は、鬼審査員そのものだ。しかし新しいネタが必ず必要で重要だろうかと私には疑問に思えてならない。日本の古典落語が私に新たな気付きを与えてくれた。

では日本人は何の為に古典落語を見るのか。噺のネタもオチさえも知っておりこれ以上の展開はないはずだが、それでも熱心に噺を聞くのは、単に落語を聞くのではなく噺家ごとの話し方、動きといった落語独特の楽しみがあると思える。現在クリック一つで簡単に多くの情報を得る事が可能な世の中で、ネタバレなど全く気にもせず演目を楽しむ観客は、日々の日常生活でも何かしらの楽しみを見つけ暮らしているのではないだろうか。私はそのような日本人のことが素直に羨ましく、そしてそのような人たちともっと交流し、理解を深めたいとも思っている。一つのアニメをきっかけに日本の落語に興味を持ったように、これからも私は日本に関する見聞を広め、日本語の学習にも一層励んでいきたい。

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