落語——日本の単口相声

楊剣萍 武漢工程大学

 

 日本語を勉強すればするほど、日本の文化や風俗に惹かれるようになった。とくに、偶然観た映画「赤めだか」で落語を知り、とても興味をもった。そして、落語にとても魅力を感じ、日中の話芸における相違にも考えをめぐらすようになった。

落語は、ふつう中国で「日本の単口相声だ」と紹介される。双方とも「笑い」を求める話芸なので、私は似たものだと思っていたが、実はかなり違う。中国の落語「単口相声」は話す、習う、笑う、歌うの4要素からなり、笑い話や早口言葉などを言ったり、動物の鳴き声や芝居のセリフを真似たりする。また、独特のアクセントで大げさにギャグを飛ばして、客を笑わせる。しかし近年、中国落語は人気が低迷し、存亡の危機にある。一方、落語はといえば、噺家が登場人物に扮して、扇子などを使う。寄席の客席はとても暗く、噺家の芝居とその独特な空間で、観客に一体感が生まれ、話に引き込まれていく。

落語の内容は幅広く、豊富で、中国落語が楽天的な話ばかりなとは違っている。私が最初に聴いた落語は、妻が夫を改心させるため、一計を案じる「芝浜」だった。最後に妻が事実を明かす所に私は感動し、これが落語かとしばらく深い感慨にふけった。また、グリム童話を改編した「死神」も素晴らしい。「どんな人でも、欲しいものが死ぬ前に続々と無くしていく。命は、ろうそくのようなものだ」というセリフを聞き、私は噺家の鬼気迫る演技に徐々に引き込まれ、一瞬、噺家であることを忘れるほどだった。「人間がいずれ死ぬもので、無理やりに寿命を延ばそうとするより、美しい生を重視し、平常心で死に臨むべきだ」という日本人の無常観が表れている。私は胸がいっぱいになり、涙が溢れそうになった。落語は人を笑わせながら、実際には人々に深い哲理を伝え、かつ悲しみと喜びが交差する日本的な美意識を見事に表現した芸術だ。

そんな落語をもっと多くの中国人に知ってもらいたい。周知のとおり、日本の落語は「饅頭怖い」など中国で作られた物語を取りいれて発展し、進化してきた。人気が落ている中国落語も、日本の落語を取り入れ進化するときなのではないだろうか。そして、中国の話芸の背後にある人々の深層心理や喜怒哀楽を掘り出して、巧みに表現できたら、中国相声は復活できるかもしれない。我々は、このように日中の芸能文化の特徴を比較し、分析し、芸術的な配慮、裏意味を学びながら、自分自身を成長させることができるし、両国の異文化をもっと深く理解できる。そして、日中の芸能文化が互いに刺激し、融合しあう関係が気づけたら、もっと素晴らしいと思う

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