諸の仏子に寄せて、共に来縁を結ばん

王琦玥 安徽大学

 

新型コロナウイルスで中国の状況が深刻になった時、日本HSK事務所が湖北省に支援物資を贈った。その物資に貼られた「山川異域、風月同天」という一言が話題となった。この言葉はもともと日本から贈られた鑑真の袈裟に刺繡されたもので、全文は「山川異域、風月同天。寄諸仏子、共結来縁」だった。ところが、私から見れば、話題を引き起こした前半の句より、後半のほうが私達の吟味に値する。

この2つの句を読んだ後、文化交流のため命がけで唐に渡り、また、命を賭して帰朝した遣唐使の壮絶な様子が生き生きと目に映った。そこで、私は井上靖の小説『天平の甍』を広げ、鑑真が六回日本に渡った歴史を新しい視点から吟味してみた。僅か200ページだが、運命のいたずらと旅の険しさが重なり合って、文字にしみ込み、この本を極めて重厚にしたと思う。井上靖の文字は山水画の如く、ただ薄色を使い、色濃い歴史をありありと再現した。井上靖の筆の下では、日本の伝統的な物の哀れが表面に覆われていて、はらはらとした様子が全く見えない。却って、本を閉じた後、動悸するだけだ。

その中で、仏教に専念した普照、帰りの途中で死んだ栄叡、放浪した戒融、唐で家族を築いた玄朗、写経し続けた業行など、僧も極めて個性的だった。だが、私にとってもっとも印象深いのは、鑑真と業行だ。

鑑真は、海が荒れ狂い、風が味方しなければ目的の地まで辿り着けず、海の藻屑になってしまう危険な旅路を知っても、「どうして命を惜しもうか。皆が行かないなら、私が行こう」と言いながら、日本への旅を覚悟して、失明するまでは使命を捨てなかった。

また、経典に固執する業行の取り憑かれたかのように言い募る様子も私の心に残った。「私が写したあの経典は、日本の地を踏めば、自分で歩いていきますよ」――そこには、何十年も写経し続け、自分が得た知恵を日本に伝わっていく事への執着じみた夢があった。

唐の時代、仏子に寄せ、日本と中国の縁を結んだ。鑑真と業行の二人はいわゆる文化の使者で、両国の文化を交流していた。鑑真が千年前に日本から受け取った「山川異域、風月同天。寄諸仏子、共結来縁」という漢詩は今でも日本と中国の心を繋げている。千年の時が流れたが、歴史の川に流れてきた国と国の感情は消えていない。

今の交通は非常に発達しており、命はほぼ運頼みの渡航の厳しさを体験することがない。故に、私たちは同じ使命を抱き、中日の交流を促進すべきだ。今、文化交流の使者を務めているのは仏子ではなく、何千何万の学生たちだ。ここ数年来、中日の学生たちは中日友好を促進する上で自分たちの力を尽くしてきた。だから、今では、この漢詩は「諸の学生に寄せ」と言い換えてもいいと思う。

中日両国が新しい時代の鑑真と業行を多く輩出させ、きっと更に努力を重ね、困難を克服し、代々友好的に付き合っていくことができると信じている。

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