青春の霧の中サンシャイン――映画『横道世之介』を見た感想

 師啓軒  西北師範大学

 

優しい心を持って他人を誠実に扱い、見返りも求めずに人を助けいつも周りの人を太陽のように暖める。あなたのそばにもそのような人がいるだろうか。

『横道世之介』は2013年の沖田修一監督の作品だ。沖田監督は、アンチクライマックスという技法を用い、強いストーリーに頼ることなく、若者の最も真実で美しい瞬間を映して私たちの心を動かした。この映画は、世之介の青春の物語であるとともに、普通に生きる人々の青春の物語でもある。

長崎生まれの世之介は、法政大学に通うために上京した。最初、地味な世之介と賑やかな東京の間にはギャップがあるようだったが、彼の誠実さや親切さのおかげで、彼にはすぐ幾人もの友人ができ、東京の生活に溶け込むことができた。

彼は、バイト先で会ったセクシーな千春に一目惚れしたり、同級生からある秘密を打ち明けられたり、同棲中の彼女を妊娠させて大学を中退した友人を助けたり、お嬢様育ちの祥子と恋愛したりといった、様々な出来事を経験する。

映画は、卒業して16年後の世界から、友人たちが、世之介との学生生活を回想する形で展開する。同級生だった加藤は、世之介を思い出し「今思うと、あいつと逢ったっていうだけで、なんかお前より大分得してる気がするよ」と言った。

しかし、映画の中盤、世之介が人を救うために駅で人身事故に遭って亡くなったというニュースが流れ、観客は彼の死を知る。後半は、恋人の祥子による回想だ。

私たちは、世之介の物語の中に自分自身の物語を見ることができる。青春にはいつも明るい部分と、悔しい部分がある。大切な友達や恋人と出逢い、友情や愛を得る一方、突然それらを失ったりもする。しかし、世之介はどんなときも周りの人に誠実であり、そのことで最終的に、彼自身を最も暖かい太陽のような存在にしたのだ。

私は一度、原作の小説を読み、次の文章を見つけたことがある――「青春は霧が消散するプロセスである。」

登場人物たちの、多くの人々と同じような平凡な生活と挫折は、理想の人生からは程遠いものかもしれない。世之介の友人の倉持は、結局、第一志望だった早稲田大学に入学することはなかったし、千春は、彼女が夢見た上流階級の生活を遂に送らなかった。しかし、それは年月によって導かれた彼らの人生の道であり、人生の物語である。

映画を見終わった後、私もまた、私が逢った「世之介」を思い出した。

高校生のときだ。私はある日、ある友人に数学の問題を尋ねたのだが、自分でも尋ねたことを忘れてしまっていた。しかし彼はちゃんと覚えていて、翌日私に説明してくれたのだった。彼は、世之介のように、他人に暖かさを与えることができる人だった。小さな思い出だが、記憶の中で光を放射するのは、このような小さな事柄だ。

私は彼のような人間、自分の光で他人の青春の霧を照らすことができる人になりたいと願っている。霧の中の風景は、いつもかすんで美しい。

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