和辻哲郎「古寺巡礼」——仏像を通した東西の異文化交流

                     余憧欣  遼寧師範大学

 

「四天王の着ている鎧も興味を引いた。皮らしい性質がいかにも巧妙に現わされている。両腕の肩の下のところには豹だか獅子だかの頭がついていて、その開いた口から腕を吐き出した格好になっている。その口には牙や歯が刻んである。それがまたいかにも堅そうな印象を与える。」この部分を読んだ時、私は東大寺の四天王の前に身を置いている感じがした。荘厳な空気の中で、四天王の表情が恐ろしければ恐ろしいほど、私たちを守ってくれる力強さと安らぎを感じる。「仏菩薩はインド風あるいはギリシア・ローマ風の装いをしているのに、何ゆえ護王神の類はシナの装いをするのか。」和辻哲郎は四天王を通してインドとギリシア・ローマ、中国の文化の結びつきを考えている。それは仏教が日本に伝ってきたシルクロードを通した東西の文化交流である。

「古寺巡礼」は作者の和辻哲郎が哲学専門を卒業してから五年後に、奈良の古寺を見学して書かれた印象記である。人々を救うために作られた仏像を和辻は仏教美術という視点から捉え直している。では、和辻はどうして奈良の古寺を巡礼したのだろうか。仏教の伝わってきたシルクロードは最初、和田玉と汗血馬を輸入するための道であった。貿易の範囲が拡大すると中国からはシルク、ローマからはガラスなどが交易されるようになった。前二年、仏教がインドから中国に伝わった。仏教が日本に伝わってきた長い道のりを考えると、四天王にギリシア・ローマ芸術の影が見られるのも理解できる。和辻は奈良の古寺を巡礼しながら、仏教を通した東西の文化の交流と融合を見ているのだ。

アジアでは、様々な仏教芸術が発展している。中国でも日本でも仏像は一見、同じように見えるが、細かく比較してみると、地域や時期によってそれぞれ異なった特徴がある。例えば、奈良の唐招提寺の盧舎那仏と洛陽の龍門石窟の廬舎那仏と比べてみよう。石窟の廬舎那仏は則天武后の顔を真似て作られたそうだ。石窟の廬舎那仏は神秘的な微笑みを浮かべている。それに対して唐招提寺の廬舎那仏は優しさと暖かみを感じる。仏像や観音像というと、私にも思い出がある。引っ越しの時、母に連れられて観音像を買いに行った。戸棚の中に色々な観音の顔が並んでいた。「好きな観音様を選んでいいよ。」と母は言った。ひとつひとつの観音像はそれぞれ魅力があった。それは観音像の中に様々な地域の文化が交じりあって融合しているからだと思う。

  異文化交流は新しい文化を生み出す。私の中にも異文化交流がある。私は日本語を通して日本文化という異文化を学んだ。だから私の性格には中国文化の「実行の早さ」と、日本文化の「粘り強さ」という両方の文化の長所がある。東西文化や中日文化の交流と融合は二千年以上前から続いている。阿倍仲麻呂や鑑真和上のように、私は中国の文化と日本文化の良いところを合わせて、更に素晴らしい文化を作っていきたい。それが私の巡礼である。
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