日日是好日

楊小欣欣  大連外国語大学

 

この夏、大森立嗣監督の「日日是好日」という映画を観た。

ちょっと理屈っぽくて真面目な主人公、二十歳の典子は多くの若者と同じで、自分が本当にしたいことが何かよくわからない。そんな典子が、母親の勧めで、友人の美智子と一緒にお茶を習うことになった。お茶は思ったより大変だったが、典子はずっとお茶を習い続けた。あっという間に、二人は大学を卒業した。美智子は就職したが、典子は就職できなくてアルバイトをしながら茶室に通うしかなかった。そして、それからの十年間、周囲の人々はどんどん自分の生活を送っていった。美智子も結婚して茶室に来なくなった。それに対して、典子は婚約者に浮気をされ、就職することもできなかった。そんな中で、一番ショックだったのは、父が亡くなったことだ。ただ時間をかけてその悲しみに慣れるしかなかった。こうして、また12年が経った。ずっと居場所がないと思っていた典子もついに自分の道を見つけた。それは茶道だった。

映画を観て、私の心に響いた二つのことがある。

一つは、「意味なんか分からなくてもいいけど、とにかくそうする」というお茶の武田先生の言葉だ。最初、典子はいつも「どうして」と聞いたが、武田先生ははっきりと答えなかった。だが、24年が経って、典子はきっとわかったのだろう。私も少し分かった気がする。世の中にはすぐわからないことがたくさんある。私たちはいつも先に意味を考えるが、実はやる前に、意味が解ることは少ない。やってこそ意味が出る。だから、ある時にはとにかくやってみるべきだと思う。今自分の道が解かっていなくてもまず茫然と歩いて、そして偶然に自分の道を見つけるのではないだろうか。だから、人生ではうまくいく日だけでなく、喜びや悲しみに満ちた日々もよい日だ。この映画の題名の通り、「日日是好日」なのだ。

もう一つは、お茶の心だ。私は以前、茶道の中で一番大事なのはお茶じゃないのか、日本の茶道には規則が多すぎて、ちょっと形式主義的だと思っていたが、今はそう思わなくなった。

日本の茶道で形式は内容そのものだ。つまり、茶道は「お茶」だけでなく、その中に「道」がある。その「道」とは何だろうか。映画を観ると、その「道」は心遣いだと思う。季節によって、武田先生は違う茶器を使った。典子が試験に受ける前に、先生は達磨さんの掛け軸を掛けた。典子が彼氏と別れた時、先生は下萌えのお菓子を用意した。その茶器、お軸、お菓子は、決して形式ではなく、本当のお茶の心だと思う。このように心をお茶に入れる茶道に私は心から感心した。武田先生のように小さいところに心をこめて無言で思いやりを伝えたい。そういう心を持って、毎日を過ごすことができれば「日日是好日」になるだろう。

雨があれば、晴れもある。迷う時も解る時も生活そのものだ。雨の時雨を聞く、雪の時雪を見る。「日日是好日」の毎日を大切に過ごしたいと思う。

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