文化についての思い

廖芷慧 青島大学

大学三年生の時、偶然一冊の本と出会った。姜建強氏が著した『十六个汉字里的日本(十六漢字から見る日本 である。ただ本の題名にひかれて読み始めたのだが、読みすすめるにつれ著者の日本文化に対する独特な美的感覚の捉え方を繰り返し嚙みしめさせられることになった。

初め目に入った漢字が「月」という文字だったことをはっきり覚えている。中国文化の中で、「月」は「一家団欒」「郷愁」の代名詞とも言える。昔から故郷を恋しく思う遊子は詩歌に自分の思いを託し、数々の名作を生み出した。では、日本人の場合は、「月」に対してどんな思いを抱くのか知りたくなった。「西洋人が月を眺める時浮かんだ「自惚れ」のような気持ちとも、中国人が月を見ると引き出された「郷愁」とも違って、日本人の目には、月は霊力と神の性質を揃えた化身のような、信仰の対象とされているものだそうだ。」著者は月についての知見を示した。そういえば、「お月様」という言い方は桃太郎、かぐや姫などの話にも出てくる。「月」は柔らかく、感性豊かなだけでなく、清らかで神聖な存在でもあるとわかった。

たった一つの簡単な漢字だが、これほどまでに違う文化的心理が投影されている。何故かしら、私の頭には「ステレオタイプ」という言葉を浮かび上がった。私が大学に入り、日本語専攻を決めた時、家族はみんな訝しい顔をした。「日本のどこがいいの?英語専攻のほうがいいんじゃない。」母がそういったのは多分日本に対する理解の欠如がもたらしたステレオタイプ、いわゆる「固定観念」によるものだろうと思う。我々は、地球上にともに生きる他の全ての国民と民族について、常に細やかな理解を得るほど暇でもないから、分かりやすい一面的な説明を聞くと、すぐそれにとびつくことになるのだろう。「どうやら、人には誰しも他国の文化や他民族の民族性について、安易な固定観念を抱いて安心する癖がある。」日本の学者・山崎正和氏のこの一言は私の心に深く突き刺さった。

今振り返って見れば、やはり「日本語に出会えて良かった」との答えを出したい。私自身もこれまで、日本文化の一面しか知らない怠け者の一人だった。「一つの国と文化を考える時、どこに焦点を当てるべきか、これは多様な広がりがあるはずだ。」姜氏はそれとなく伝えてくれた。文化といい、他の国といい、恣意的な認識に陥るのは危ないことだ。私たちは今、先入観にとらわれないようお互い理解しあう第一歩を踏み出すべきではないか。異なる文化を認め合うからこそコミュニケーションの醍醐味が味わえる。常に異文化を慎重に扱う心掛けを前提として中日文化交流活動に当たるべきだと思う。私はまだまだこの長い道のりを行く旅人だ。

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