斜陽の輝き

熊梓 上海海事大学

 

 初めて『斜陽』を手にした時、ざっと読み通しただけで、じっくり読まなかった。私の印象に一番残っているのは、その物語が起こる時代に珍しいほどの貴族であるお母様の所謂正式礼法から離れて食事することや、空の色と調和して頸巻を編むこと、ちっとも狼狽せずに命を終えることだった。その貴族の気質に圧倒されながら、お母様のような貴族の没落に惜しい思いをしてならなかった。

 初の読後感は、その程度のものだった。もう一度『斜陽』を読もうと思ったのは、新型コロナウイルスによる外出自粛の際だった。今度こそ、この本をじっくり読もうと決意した私は、再びページをめくっている時、同じく貴族の身分を持つかず子と直治の全く異なった運命にも気がついた。

 それぞれの生き方の違いは、二人の性格によるものではないかと思った。直治は自分が貴族であることに縛られているような気がした。彼はその身分から逃れたがったので、平民出身の人と付き合ったが、「とても付き合いきれない小生意気なところを見せる」と上原からこのように評された。自殺する際にも、「姉さん。僕は貴族です。」とかず子に伝え、とうとう死ぬまでその枠から逃れきれなかったわけだ。

 それに対して、かず子の性格は全く異なっている。それこそ、最も感動を受けたところだと思う。戦後、家は没落して、従来と一変した生活を迎えたものの、かず子は労働の徴用に応じてヨイトマケをやらされたり、伊豆の別荘に引っ越してから畑仕事に取り組んだりしていた。それは、彼女は、「どうせ滅びるものなら、思い切って華麗に滅びたい」と決意したからだと考えるそのかず子らしさは、「私は、やはり自分勝手なのであろうか」と書いてあるように、「自分勝手」の一言でで最も良くまとまっていると思う。ほかの言葉に言い換えれば、「勇ましい」あるいは「前向き」と言い表したほうがよいかもしれない。彼女と弟はまるで二つの極端で、一人は希望を信じて暮らし、もう一人は死にたいほど絶望でたまらなかった。

 印象的なシーンはもう一つあった。かず子は上原と一晩を過ごし、夜明けになったのに、上原は「でも、もう、おそいなあ。黄昏だ」と嘆いたが、粋なかず子は「朝ですわ」と言い返した。その会話を読んだら、私はかず子の楽観の気持ちに感心させられた。上原は、世間の苦しみを味わってきたが故に、朝日を見ないことにするのに対して、没落した貴族出身のかず子は、母に旅立たれても、依然としてポジティブな姿で、恋であれ、子供であれ、自分が憧れる全てのことを追求することによって、未来を信じようとする。

 もし日が沈むことは貴族の一家が没落することを象徴すれば、その沈もうとなる日の光はかず子の心に残った生活に対する希望なのではないかと思う。このかず子は、新型コロナウイルスで外出自粛をしているイライラした私を元気づけ、再び温かく花を咲かせる春の到来を待つ自信を与えてくれた。

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