日本の小説とともに成長した私

熊繊愉 海南師範大学

 

 日本に行ったことがないが、日本のことを近く感じている。それが小説のおかげである。

初めて日本文学に触れたのが川端康成の『雪国』であった。小説の中では埃のない真っ白で純粋な世界が広がっている。それが、最後になると、火の子や黒煙がひろがり散っている火事の現場にがらりと変わり、赤い矢絣の着物を着た葉子の亡くなったシーンが描かれていた。白、黒、赤と対照的な色彩の鮮明に映し出されたこれらの画面がこの世を遠く超えた幻のようであった。日本は俗の世界からかけ離れた白い雪の舞い落ちるピュアな国かなと、その時から好奇心を持ちはじめた。

高校に入ってから、受験のストレスがたまるようになった。気持ちを切り替えようと、夏目漱石の『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』を読み始めた。『吾輩は猫である』は猫の目からその飼い主の一家の生活を描いた作品。一方、『坊っちゃん』は飾り気のない性格の主人公が田舎で教師を務めた経歴を述べた作品である。生き生きとした日常生活の場面が、どこかで見たようなものが多く、分かりやすかった。『雪国』が与えてくれた遠い幻想的な世界と違った、身近な日本が感じられた。また、人間を見るクールな猫の目つきや、坊っちゃんの無鉄砲な性格など、小説の面白さに惹かれ、落ち込んでいた気持ちがパット晴れるようになったこともあって、大学では日本語専攻を選んだ。

 大学の入学試験にうまく受かり、田舎のふるさとから都会に引っ越した。周りの景色が一面に広がる田畑から高層ビルや自動車などに変わり、新しいキャンパスや、往来する車両に戸惑いを感じ、右も左も分からなくなった時期が続いた。そこで救ってくれたのが『三四郎』だった。主人公三四郎も田舎の高校を卒業し、学業を修めるために上京した。三四郎が感じた「三つの世界」は私もある。一つは故郷、二番目は学問の世界、三つ目は華やかな都会の世界。三四郎と同じ、私も新しい環境の中で人と出会い、知識を勉強し、新しい生活に慣れようとしている。そして三四郎が何回も口に出している「迷羊」という言葉にも共感し、どのように人に接すればいいのか、どのようなやり方でいいのか、将来は何をしたいのかと、正解がない世界に入り込み、迷い込んでいるからである。しかしその一方で、三四郎の姿から、自分の寂しさ、心細さ、不器用さを違う角度から認識することができた。つまり、私だけでなく、ふるさとから離れ、新しい環境に慣れようとするほかの人も同じ思いをしていることが分かったからである。また、それが成長する過程なのだと分かり、自分のことを納得するようになった。

旅は道連れ世は情け。私は成長する旅の中で日本の小説に心を打たれ、主人公たちに励まされてきている。日本文学をもっと勉強し、将来は日本語教師になり、自分の成長する経歴を若者たちにシェアしたいと思う。

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