孫甜甜 河南大学

2013年に大学に入ってから今まで、日本語を勉強し続けておよそ7年が経った。この7年間の間に、たくさんの日本語のドラマや映画を見た。その中で一番印象に残っているのが小林薫さんが出演された「深夜食堂」である。
賑やかな新宿の巷で、夜12時から朝7時ごろまで営業し人々に深夜食堂と呼ばれている飯屋がある。この店のメニューは豚汁定食しかないがオーナーはできるものなら何でも作ってくれるので勝手に注文ができる。夜12時まで仕事や生活に追われて、何かに悩んでいる顔をした人々がいつも深夜食堂を利用していた。狭い飯屋に身分が違う人々が集まって、彼らは話を交わしたりそれぞれの経歴や身の上話を共有したりする。これが「深夜食堂」というドラマの粗筋である。
私の頭の中に消し難い印象を残したのは第四話の「ちょくちょく帰ってやれ」である。その話に登場する男は、職業がAV男優だったせいで母親に認められなかったし、妹の結婚式にも参加できなかったので、この二十年間一度も母親の元に帰ることができなかった。最後に母親に会った時、母親は認知症を患っていて、息子が既に赤の他人のようになってしまった。私はこの場面を見て、思わず「樹静かならんと欲すれども風止まず子養わんと欲すれども親待たず」という中国のことわざを思い出した。
また、私の母のこともふと脳裏に浮かんだ。うちの母は料理が上手なので、私は外のレストランで外食することは少なかった。母の手作り料理を食べて育たと言える。私は小学校六年生の頃から、寄宿学校に入っていたので、毎週家に帰ることが一回しかなかった。すなわち、週末にだけ母の手作り料理を食べるチャンスがあった。そして、高校生の時には、一ヶ月に一回だけ家に帰ることができ、大学生の時には、夏休み又は冬休みに親の顔を見ることができた。その後、私は卒業して仕事のために故郷を後にした。仕事も忙しいし、家からも遠かったので、一年に2、3回ぐらい家に帰ることができた。私は、成長するにつれて母の手作り料理を食べることが贅沢なものになったことに気づいた。会社に勤めた後、時々ミシュランレストランで食事をしたが、その味付けは母の手作り料理のレベルに及ぶことはできないと思う。今年の上半期、新型コロナウイルスのせいで、私は実家に三ヶ月ぐらいいた。これは大学を卒業してから家にいる時間がもっとも長い時期だった。母と一緒に食事をする機会が多くなると思ったが、母は一ヶ月ぐらい仕事をし続けていたので、家に帰ることが非常に少なかった。母と一緒に食事をする機会が、あとどのぐらい残っているかという問題を思うと焦っている。
2020年もすでに9ヶ月が経ち、あと数ヶ月で中国の旧正月になる。今年の除夜に家族と一緒に食事をして、一年中のことを語り合って、楽しい一家団欒の時を過ごすことを楽しみにしている。