結果と過程についての私見

朱順達 嶺南師範学院

 

 最近、あるアニメを見たとき、こういうシーンがあります。主人公はお巡りさんが道に飛び散っている瓶のガラスの中には何かを探しているような様子を見ました。聞いたあと、昨日強盗があって、被害者が瓶で殴られて、お巡りさんが割れた瓶の破片の中に容疑者の『指紋』を探していることを知りました。

 そして主人公は「その参考までに聞きたいんだが、ちょっとした個人的な好奇心なんだがもし見つからなかったらどうするんだい?指紋なんてとれないかも。それよりも見つけたとして犯人がずる賢い弁護士とかつけて無罪になったとしたら。あんたはどう思って、そんな苦労をしょいこんでいるんだ?」
 お巡りさんが「そうだな、私は結果だけを求めてはいない。結果だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ。近道したとき真実を見失うかもしれない。やる気も次第に失せていく。大切なのは真実に向かおうとする意志だと思っている。向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしてもいつかはたどり着くだろう?向かっているわけだからな、違うかい?」と答えます。

 確かにそのお巡りさんの言う通りです。私は結果よりも過程の方が大切だと思います。結果をひたすらに求めようとする人は成長できません。何にしようと、何を学ぼうと、必ずたくさん行動をして、汗を流して、いっぱい練習をして、何度も何度も繰り返さなければなりません。それにひきかえ、結果ばかり求めようとする人は、往々にして失敗してしまう傾向があります。本当の成長は、学ぶことを習慣として自分の体に染み込ませるものであり、時間がかかるものです。

 この時、何だか自分の幼いころ、自転車に乗る練習をしたことを思い出しました。最初は転んだり、足をついたり、なかなかうまくいかなかった。「このままでは、俺は一生乗れないじゃないか」という不安が出始めました。「自転車を一分で乗れるようになる方法がないか」と常にこう思います。残念ながらそういう方法がありません。あったとしてもただ補助だけです。例えば親が自転車の後ろから支えるようにして走行させます。最後は自ら練習を繰り返して、経験を積み重ねて、その乗り方が自分の体に染み込むまで一生懸命に練習が必要です。自転車に乗るのだけではなくて、他のことでも、仕事でも、目標を達成する前に、必ず面倒な事とか、やっかい事とか、揉め事などを遭うでしょう。それでも簡単に諦めずに、根気よく続けることに意義があるではないでしょうか。

 人は大きなターゲットの前で無力さを感じがちです。しかしながらどんな大きな目標にしても、必ず一つ一つのミッションを分けられます。自分のペースで段取りよく事を運べば目的をなしどけるでしょう。かつて自分が乗り越えないと思った山をたどり着いたとき、中のあらゆる苦労をつぶさに味わうのも人生の一つお楽しみではないでしょうか。

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