『彼女は安楽死を選んだ』を見て

彭映分 貴州民族大学

 

「誰もがいつか死ぬ。」「何かのせいではなく、何かのために死にたいものだな。」

これはエンター・ザ・マトリックスが「死」について話した言葉である。子供のころから、私は無言で、人と付き合うのが嫌なタイプであった。大学に入って、それが一層ひどくなって、命をあきらめようとしたこともあった。私は鬱になったのである。病気のせいもあって、性格のせいもあったか、よく「生きること」の意味について考えている。このような私に大きく変えてくれたのは、『彼女は安楽死を選んだ』という日本のドキュメンタリー映画でだった。

 それはある多系統萎縮症にかかった女性が安楽死を求める物語であった。彼女は優秀で綺麗な人であった。病気にかかって、徐々に自分らしくないようになってしまい、できることもできなくなってしまった。彼女にとって、一番苦しいのは歩けないことやオムツを使うことでもなく、助けてくれた人に「ありがとう」さえも言えないことであった。自分はもう自分ではなく、このような毎日は辛くて、自殺しようともしたが、自分の命をとどめることさえもできなかった。自分のために、彼女はスイスへ行って安楽死を求めた。安楽死をするのは家族にとって残酷だとしても、自分のために、彼女は最後に安楽死を選んだ。

 このドキュメンタリーが私を変えたと言ったのは、命の大切さを感じ、未来に希望が持てるようになったからである。私は今、学校で勉強していて、自分の夢を叶えるように頑張ることができる。しかし、世の中には、病気で命が奪われ、夢をあきらめるしかできない人は少なくないだろう。それらの人にとって、日常のように生きていくことさえもできなくなっただろう。それに対して、私は普通に生きている。「普通に生活できれば、それでいいじゃないの。」と知り合いの先生がこう言ってくれた。普通に生活できることが幸せである。この言葉を理解できたのは、今年の新型コロナウイルスで家にこもっていた時であった。今回のコロナとの戦いの中で、数多くの人が家に帰れなく、多くの人は命が奪われてしまった。第一線の医者や看護師だけでなく、一般人としての私たちも一日も早く元に戻れるようと願っている。日常に戻るだけで、十分に幸せなのではないか。

 結局、私は「生きることの意味」が分からなかった。しかし、その意味は日常生活の中にあることが分かるようになった。毎日を自分らしさで生きていけば、いつかその意味が分かるだろう。

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