佳木斯大学外国語学院

王詩涵 佳木斯大学外国語学院

 

  作品に対する感じ方は、人それぞれ異なる。良いか悪いかの区別はない。中国に「仁者は仁に、智者は智に目を向ける」という成語があるが、まさにその通りである。ある一つの作品は、人それぞれ、異なる印象を与えてくれる。私も新たなことを考えさせられた。この作品の著者、渡辺淳一さんは、周知のとおり、日本の名高い作家であり、「耽美派の作家」、「現代日本男性の代弁者」と称えられている。この作品は、渡辺淳一さんの「失楽園」という小説だ。

作品の主人公は松原凛子と久木祥一である。彼らの間の深い愛情を描いた小説だ。主人公は、中年になった時、不倫をし、そして、最後は愛を貫くために、北国で心中するという形で二人の人生を終わらせた。作品の悲しく絶望的な感情、最後は愛のために自殺するという形式は、日本で大きな反響を引き起こしたのである。私にして見れば、彼らの愛は道徳に反し、世俗には受け入れられないものであるが、しかし、彼らの愛はもっと熱く、純粋で、 勇敢である。私は愛を貫く姿にとても感動した。この小説において、死に対する意識は重要なことである。不安定な社会状況の中において、日本人の内心には虚無と不安があり、死に向かうことで、これらに終止符を打つ。心には精神的な慰めが必要だと感じさせられる。

  人によって愛の定義は異なる。愛は時には「包容」であり、時には「妥協」であり、時には「手放し」である。しかし、愛は定義できない。それにもかかわらず、愛が生じたときに、それを実感することができるし、毎回感じが異なる。人の一生は、多くの人を愛するかもしれないし、一人だけを愛するかもしれない。心を通わせた二人が恋に落ちたのは、何よりの幸運だと思う。愛は桜のように華麗であるが、その命は短い。しかし、じっくり味わうことができる。愛していたら、深く愛してください。世事は無常であり、限りなく移り変わる。今を大切にし、目の前の人をいつくしみ、行いを大事にする。日々、悔いが残らないようにしたい。

  桜は満開の時には美しいが、散る時には未練がない。死は命の一部であり、それならば最愛の人と最高の形で出発することは、非常に幸せなことである。生命はありがたいが、愛情はもっと崇高なものである。悔いのない愛。どんな時でも、人々は欲望を持っているが、適度にコントロールしなければならない、というのが多くの人の考えだと思う。しかし、精神的なものを満たすために、命を捧げるのも一つの生き方ではないだろうか。

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850