悪と絶望に咲く愛の花――『白夜行』を読んで

楊翼萌 長江師範学院外国語学院

 

 『白夜行』という物語は、笹垣潤三という警察官がぶつかった古びたビルの質屋社長の死という奇妙な事件から始まった。笹垣さんの目線でずっと描いているようです。当時の私はそう思っていましたが、実はそうではありません。これらの異人の話はまったく関係がないように見えますが、よく読んだ後で、実際の話は二人をめぐって展開していることがわかりました。桐原亮司という男性と西本雪穂という女性がいます。二人の絶望的な思いは「手をつないで太陽の下を散歩したい」というものでした。

読んでいるうちに、雪穂に対する個人的な感覚は、彼女は物事をわきまえている女の子だと思うようになりました。それから、疑点があった女の子が、怖い女の子に最後に怖くてかれんそうな女になりました。その後、彼女の周りの人たちは彼女に対して良くも悪くも不幸に見舞われました。彼女は自分でこれらの人の幸福を踏んで上がって、ひとつまで無限な財産を持って、みんなの上で凌駕することができて、他の人の人生の地位を遊びに行きます。正確には、自分が不幸にならないような立場であるべきです。雪穂がそうしようとしたのも、彼女が不幸に見舞われたためで、幼少期には実母からフェティシズムのある質屋の主人に身体を売り出され、その精神的な破壊の仕方が雪穂の心に深く根付いていたためで、亮司も他人の魂を簡単に奪う方法だと考えていました。この時、雪穂の魂は子供のころの彼女に止まっていました。その後の彼女はぼろぼろで、白夜を歩いているかわいそうな人でした。しかし、他人に被害を与えたことがあるのと同じような被害は、自分に対して何度も注意しただけの恐ろしいことです。これは自分をもっと苦痛な淵に堕落させ、救いが得られなくなり、自分が本来持っていた光も落ちてしまいます。

また、亮司は雪穂を守っていて、一度も離れたことがありません。その年に父を殺してから、彼はずっと雪穂が白夜の中を歩いている光で、雪穂のために、彼は何でもできます。それでも罪のない人を傷つけるだけでなく、雪穂と亮司自身を傷つけてしまいました。雪穂にとって亮司は光なので、この光で夜を昼として過ごすことができます。しかし、亮司にとって雪穂はどうして彼の光ではないのでしょうか。亮司の願いは昼間に歩くことです。雪穂も、実は亮司も雪穂も白夜を歩くことです。二人は過去に縛られ、抱き合っていて離れられなくなります。最後に、亮司は大切なはさみで自分の人生を終え、最後に雪穂を守りました。東野先生の最後の言葉は「彼女は一度も振り向かなかった」ということです。彼女は振り向かず、自分で振り向くことも許されません。これは雪穂がどうしても開けられない心の結びです。

私はその小説を何度も読みましたしが、よく「悪と絶望に咲く愛の花」のような美しい物語に心を打たれています。

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