七夕伝説

  西安の民間文化には深い歴史的背景がある。社火芯子は東周の「儺(おにやらい)」文化を基礎として、盛唐の戯曲文化を吸収した後、少しずつ進化してきたという。また、「牛郎織女」伝説は西安と縁が深いが、その起源は漢代までさかのぼる。

  漢の時代に、人々は空の「牽牛星」と「織女星」を擬人化し、「牛郎織女」の物語をつくり出した。機織りをする天女と人間の牛飼いとの恋は西王母に阻まれ、二人の間には天の川が現れて、毎年7月7日にカササギの架けた橋でしか会えなくなった。この物語によって旧暦7月7日の七夕にも、ロマンチックな要素が込められるようになった。女性たちはこの日、針に糸を通して裁縫の上達を祈り、織姫のような技を手に入れることを願う。

  史料によると、漢の武帝は紀元前120年、現在の西安市長安区に昆明池を開削し、池の東西両側に牛飼い、織姫の石像をそれぞれ建てたという。その後、七夕は次第に「東方のバレンタインデー」と呼ばれるようになり、昆明池のほとりにある牽牛織女像も七夕の最もにぎやかな名所の一つとなった。七夕は奈良時代に日本にも伝わり、今では中日両国共通の節句となっている。西安市長安区の「牛郎織女伝説」は、2010年に国家レベルの無形文化遺産リストに登録された。

  13王朝の政治・経済・文化の中心だった西安は、数千年の歴史の中で数えきれないほどの文化遺産を蓄積してきた。西安碑林博物館には漢から清までの各時代の碑石や墓誌が陳列されている。先秦時代の「羊羹(羊肉のスープ)」から変化してきた「羊肉泡饃」はすでに全国的に知られる西安の代表的グルメになった。漢の名将・紀信を祭った城隍廟は600年以上線香が燃え続けている……。これらの文化の宝物は長い歳月を経ても、色あせることなく今日まで伝承されている。


羊肉泡饃とはラム肉の入ったスープに、小麦粉で作ったパンをちぎり入れて煮た料理。柔らかい肉と濃い味のスープが胃を温める