広西チワン族自治区乍洞村の貧困脱却レポート③ 貧困から抜け出す活路を自ら進んで切り開く村民たち

35歳の覃永秋さんはハサミを持ち、慣れた手つきでパッションフルーツの剪定をし、自身の果樹園を丹念に手入れしている。「今回育てた分のパッションフルーツはほぼ実をつけました。しばらく経ったら収穫して売りに出せます」と、彼女は嬉しそうに語った。

 

パッションフルーツの剪定をする覃永秋さん(写真本誌李凱至記者)

覃永秋さんは貧困が原因で、数年前に広西壮(チワン)族自治区河池市宜州区乍洞村を離れて市内で働くことを選んだが、両親は村に残り、トウモロコシを植えて生計を立てていた。道路が開通したのち、乍洞村の謝万挙第一書記の勧めによって彼女とその夫は乍洞村に戻り、元々トウモロコシを育てていた土地にパッションフルーツを植えた。

「同じ農作業でも、パッションフルーツの方がトウモロコシよりも効率よくお金が稼げます」と覃永秋さんは言う。

パッションフルーツは植えてから収穫までの周期が短く、さほど土壌も選ばないため、乍洞村で栽培するのに大変適していた。乍洞村ではパッションフルーツ産業を発展させるため、新たに栽培を始める村民にさまざまな補助金を給付した。「パッションフルーツの苗木を買うのにお金がいらないだけでなく、最初に植えた時に1ムー(1ムーは約6.67アール)当たり500元以上の補助金までもらえました」と彼女は語る。

 

乍洞村のパッションフルーツ畑(写真本誌李凱至記者)

覃永秋さんのパッションフルーツ栽培は順調だったが、今年になって状況に幾つかの変化が生じた。新型コロナウイルス感染症の発生により、市内の居住者は出来るだけ外出を控えたため、数カ月もの間パッションフルーツ畑に行って手入れをすることができなかった。また、7~8月の雨季に乍洞村で水害が発生し、パッションフルーツの品質に深刻な影響を及ぼした。

収入源を確保するため、覃永秋さんの夫は最近広州へ出稼ぎに行き、彼女自身も2人の子供の世話に追われながら、毎週時間のある時だけ村に行き、パッションフルーツの剪定をしていた。

このような状況に直面し、覃永秋さんは村民委員会の助力のもと、積極的に新たな活路を探し求めた。「いかなる方法であろうと、村民にとっては順調に貧困脱却でき、暮らしがよくなっていけば、それは成功なのです」と謝書記は語る。

同様に変化を求めたのは、養蚕農家の覃永福さんだ。

中国における養蚕のふるさととして、宜州区には数多くのシルク加工企業が存在し、製品の一定量は日本やインド、イタリア、ルーマニアなど10以上の国・地域に輸出されている。しかし、今年に入って以降、新型肺炎が世界中に広まるにつれ、シルクの輸出はほぼ止まり、養蚕で生計を立てている覃永福さんも一定の影響を受けた。

「需要は明らかに減りました。蚕の繭の買い付け業者はまだ多いとはいえ、昨年には遠く及ばず、買い付け額も少し下がりました」と覃永福さんは語る。

覃永福さんによればここ数年、村では牛の飼育による収益が比較的良好で、村民委員会も支援しているという。彼は現在、養蚕業を続けながら、肉用牛の飼育にも取り組んでみようかと考えている。

貧困脱却の難関攻略は産業上のサポートが欠かせず、産業による増収は貧困脱却の難関攻略における主な方法であり、長期的な取り組みだ。

謝書記は乍洞村の特色ある産業においても新たな試みを進めている。道路の開通、貧困支援のための移転、特色ある産業の発展が成される前、村民たちは貧しいにもかかわらず、現状を認識しておらず、このような状態を変える意欲も不足していた。「しかしここ数年、村の発展と変化にともない、より多くの人々の考え方は『私を貧困から救って欲しい』から『私は貧困から抜け出したい』というものに変わりました。みんなが貧困から脱却し、豊かになるための方法を自ら進んで探し始めたのです」と、謝書記はこのような村民の変化を嬉しく思っている。

5年近くに渡る懸命な努力により、かつて貧困人口が101世帯314人、貧困発生率は48.8%に達していた乍洞村では、現在まだ貧困脱却できていないのは残り6世帯16人のみとなり、誰もが等しく「両不愁三保障」(衣食の愁いがなく、義務教育と基本医療、住宅の安全を保障する)の基準に達している。そしてこれらのことは、乍洞村にとって始まりにすぎない。

「北京週報日本語版」20201020

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