2017年度「Panda杯」在中日本人写真コンテスト

海南島を訪れた受賞者たちの声

 

 

昨年1127日、2017年度「Panda杯」在中日本人写真コンテストが海南島で幕を下ろした。当コンテストは人民中国雑誌社が主催する「Panda杯」全日本青年作文コンクールに続く「Panda杯」シリーズ活動の一つで、今回が第1回目の開催となる。作品の募集から受賞者の交流訪問まで、活動の全容を振り返る。

 

中国を見つめる独特な視点

昨年は中日国交正常化45周年に当たり、今年は中日平和友好条約締結40周年の節目を迎える。中日民間交流を促進し、両国民の相互理解を深めるため、人民中国雑誌社は在中日本人を対象に今回のコンテストを開催した。「あなたの身近な中国」というテーマで、377人の在中日本人から合計587件の応募作品が寄せられた。参加者の年齢層は88歳の高齢者から8歳の子どもまで幅広く、北は吉林省から南は海南省まで中国各地で撮影された。その後、2回の厳しい審査を経て、優秀賞10点と佳作賞30点が選定された。

参加者の中には家族、友人、同僚にコンテストへの参加を呼び掛ける人も多かった。渡辺礼夢ちゃん(8)は父親と一緒に、上海在住の高木宏容さんと高木美香さんは夫婦で投稿し、それぞれ優秀賞と佳作賞を獲得した。

1120日に上海環球金融中心で行われたコンテストの表彰式で、人民中国雑誌社の陳文戈社長はあいさつの中で日本人参加者たちの積極的な参加に感謝し、「交流を促進し、友情を深め合う」という目的が実現できたと話し、「鋭い独特の視点で変化目まぐるしい現代中国を写真に収めていただき感謝している」と述べた。また、中国での仕事や生活で見つけた喜びと感動を周囲やより多くの人に伝えてくれれば、とも語った。

駐上海日本総領事館の片山和之総領事は「日本人による中国の魅力発信」という当コンテスト企画の着眼点を高く評価した。

上海市人民対外友好協会日本処の曹海炯処長は、参加作品から両国民の豊かな生活への憧れが感じられたと述べた。

上海環球金融中心の叶一成総経理はこれらの作品が上海の経済中心地・陸家嘴で働く各業界の人々、そして世界各地から訪れる観光客に写真の美学と中国の魅力を楽しんでもらうことを期待した。

受賞された40作品は上海環球金融中心に展示され、道行く人々を引きつけた。また、14人の受賞代表者からなる訪問団は表彰式翌日の21日に海南省に向かい、1週間にわたる交流訪問を行った。

 

中国海南島の旅

日本人にとって南国の島といえば沖縄をはじめ、ハワイ、グアムなどが定番であるが、ハワイと同じ緯度に位置する中国の海南島はまだなじみが浅い。10年に「国際観光島」を目標に掲げて観光振興事業に乗り出して以来、海南島は観光事業の分野でめまぐるしい発展を遂げ、中国で唯一熱帯観光資源が豊富な地域として、世界中から注目を集めるようになった。今回、「Panda杯」写真コンテスト受賞者一行はそんな若くて活気にあふれた観光スポットに足を踏み入れ、中国の経済発展と環境保全への取り組み、さらには文化と歴史の伝承が凝縮されたこの地で、南国の情趣を肌で感じ取るとともに、海南島の今と、等身大の中国をレンズに収めた。

人けのないところには育たないと言われるヤシの木。二酸化炭素を好むその性質から、人の多く集まる所では立派に育ち、大きな実をたくさんつける。海南島に暮らす人々の風情が濃厚な北仍村では、ヤシの木とビンロの木が連なって実を結んでいる。その下で、地元の住民たちは麻雀を打ちながら、にぎやかに談笑している。ここでは海南島の民俗をじかに体感できるのだ。「北仍村では地方の村がどのように観光を上手く利用し、村人と観光客が共に心地よく過ごせるように工夫しているのかを見ることができました」と牛坊茂和さん。春日大志さんは、「村の入り口には看板がかかっており、環境と現地の人々に対するおきてが書かれている。文明の発展は良いことだが、手段を選ばずして得た結果は大きな代償を負うことになるでしょう。『共生』は中国の夢だけではなく、人類共通の課題です。それに対する答えをこの村が教えてくれました」と感動を言葉にした。

「当時からの建物が残る街並みは一見時代を超えてそこにいるような錯覚に陥ります。建物に限らず昔から文化伝統が残り後世に受け継がれる事は大変いいこと。お金で買えないものの大切さです」。騎楼老街に足を運んだ澤田光さんは、濃厚な東南アジアの雰囲気に浸りながらシャッターを切り続けた。海南島で最も趣のある古い町並みである騎楼老街は当時東南アジアへ出稼ぎに渡った華僑たちが現地の建物を真似て作った通りだ。建物が通りをまたぐように建てられているため、騎楼と名付けられた。もともとは問屋街で600棟に上る屋外廊下式の建物が連なる。雨や日差しを守ってくれるひさしの下で、元気な呼び売りの声と共に老人たちがお茶を楽しむ様子は時が止まったかのような安らぎを醸し出す。

刻一刻と移り変わる時代の中で、独自の文化を引き継ぐのは貴重かつ困難なことだ。海南は漢族、リー()族、ミャオ(苗)族など、20以上の民族が共に暮らす地域であり、少数民族の人口は総人口の40%を占めている。そのうち人口が最も多いリー族は、海南島で最も古い先住民族である。三亜にある海南檳榔谷リー族・ミャオ族文化旅遊区は、熱帯雨林に暮らすリー族とミャオ族の住人たちの生活を等身大のまま再現している。金子巧さんは「少数民族の村といえば、近づくのが難しいイメージ。しかしここは観光地としてきれいに整備されていて、苦労することなく、気軽に少数民族の暮らしを知ることができる」と、真剣に少数民族の暮らしを観察した。区内に入ると、顔や体に入れ墨をした老婦人たちが座敷に座って独特な機織り機で布を織っているのが目に入る。独自の模様をした入れ墨は女性の地位と役割を表しており、家系によって内容が異なる。また、彼女たちが織る布は「黎錦」と呼ばれ、民族服装に用いられる。文字を持たないリー族の人々はこの世のあらゆる現象と自分の気持ちを全て織物に織り込んだ。リー族にとって黎錦はまさに身にまとった民族史なのだ。「この入れ墨は麻酔技術がなく痛みを伴う施術と聞きました。それでもなお笑う入れ墨顔の女性たちの写真を見て、文化と習慣について考えさせられました」と赤井綾乃さん。女性の健康に配慮する考えから入れ墨の伝統は廃止され、「黎錦」の織り方を知る若者もどんどん減っている。これら消滅にひんしたリー族伝統の技と徐々に消えつつある文化はここで大切に保護され、生き続けている。

南国といえばビーチ。きれいな海辺で有名な天涯海角は「天の尽きるところ、海の果て」という例えがあり、海の遠くかなたでは地平線がぼやけて見え、天と地が入り交ざって映る。また、永遠という時間の果てをも意味することから、恋人たちの楽園にもなっている。

天涯海角が人々の心をひきつけるのは、透き通った海と白い砂浜だけではない。入り口に立つ大きな像を見てみると、それは鑑真だった。鑑真が6回にわたって日本へ布教に赴いたことは中日間でよく知られる逸話だが、5回目の航海のときに台風で流れ着いたのがこの海南の地であった。そしてこの中日ゆかりの地に二つの東屋が建てられた。一つは中国の伝統的な造りで、もう一つは日本の伝統的な造りだ。屋根はあるが壁はない東屋は、中国と日本が末永く心を通い合わせられる隣人であることを象徴している。一行はしばしそこでたたずみ、鑑真像と東屋に見とれ、思いを馳せた。

観光地としての歴史は浅い海南島だが、中国の重要な行政区画の一つとして、その役割を長きにわたって果たしてきた。千年の古い郡と称される儋州{だんしゅう}を訪れると、中国の長い歴史が目の前を駆け巡る。ここはかつて流刑の地とされていた。北宋時代(960~1127年)の詩人・蘇軾(蘇東坡)は、政治犯としてここ儋州へ流された。当時、海南島に左遷される事は天地の果てまで放り出されたようなもの。しかしそれでも蘇東坡自身の悲哀に屈することなく、現地の人々のために貢献し、現地の開化に大きく貢献した。「鑑真にも通じることだが、どんな逆境においても、今自分のいる所をより良いものへと変えていこうと努力する偉人たちの精神に深く感銘を受けた」と南部健人さんは言う。

伝統とリゾートが入り混じるこの島の様々な面に触れた海南島の交流訪問は、知られざる中国の発展の一面を垣間見ることができた1週間だった。「ここでは様々な文化が濃く融合していて、それが海南の多様性を支える土壌になっているのだと思いました」と南部さん。箕輪淑子さんはニワトリが自由に駆ける姿や家の子どもたちが騒ぐ様子といった日常のとても自然な風景の中に自分が入っていけるのがいい体験でした」と胸いっぱいの様子だった。

海南島の交流訪問を経て、受賞者たちは、それぞれの思いとフィルムに焼き写した貴重な瞬間を胸に、中国とのこれからを歩み続けることとなる。


 

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