精緻凝らした淮揚料理
 古い運河と美しい庭園を遊覧するだけでは、まだ物足りないだろう。淮揚料理に舌鼓を打ち、古琴の音に耳を傾け、揚州漆器と木版印刷を一回り見てこそ、本当に揚州に来たかいがあると言える。東アジアの文化都市として、揚州の輝かしい無形文化財は、飲食から日用品、さらにエンターテインメントやレジャーまで、普段の生活のあらゆる面を網羅している。

 
 清代の美食家楊度は、かつて『都門飲食雑記』にこう記した――「淮揚(現在の淮安市と揚州市を中心とする地域)は、運河建設と塩業により、飲食が盛んで料理はあっさりしていて手が込んでいる」。清朝時代、塩商人の巨頭黄至筠は、食材の新鮮さと美しさに特にこだわり、普通の卵炒飯でさえ一皿銀50両(1両は現在の約200~300元)をかけたと伝えられている。塩豪商の食材に対する「重箱の隅をつつく」までのこだわりと、揚州人の懐の広さによる開放的な雰囲気が重なり合い、南北のスタイルを合わせたような地方料理――淮揚料理が生まれた。

 京杭大運河の東岸にあるクラウンプラザ揚州ホテルで、一人のかくしゃくとした高齢男性が片手で鍋を振り、材料の投入から味付け完成まで一気呵成の動作で仕上げていた。「81歳だけど、鍋を振る腕は、若い者に負けないよ」。コックの居長竜さんは誇らしげに言った。居さんは淮揚料理の省レベル無形文化遺産の伝承者で、19歳の時に蘇北農学院の食堂で調理を学び始めてから、今でも厨房の第一線で活躍している。




 淮揚料理は、「精緻さ」で知られる。その一つは包丁細工を重んじることだ。最も極められた包丁技では、一切れわずか5幅でも切り分けられる。二つ目は、素材選びと調理法を重視する点だ。例えばエビは必ず水から揚げたばかりの生きたものでなければならず、料理によっては、出来上がるまでわずか3回半しか鍋を返さないものもある。中国人なら誰でも知る揚州炒飯を例に取ると、具材が10種類という多さに、ご飯の硬さと分量にも厳しいこだわりがある。
 改革開放後、作り方が丁寧で、食感も優れた淮揚料理は中国の主流料理の一つとなり、たびたび政府主催の宴会に登場した。「富春茶点」を代表とする料理関連の無形文化遺産は52件に及び、これにより揚州は「世界の美食の街」との評判を得ている。

 
 
 居さんはこれまで何度も国内外の国家元首のために腕を振るっては好評を博し、60年余り、ひたすら淮揚料理の伝承と発展に尽くしてきた。中国の四大名著の一つとされる『紅楼夢』の中の淮揚料理の「紅楼宴」を再現しただけでなく、千葉県の招きにより日本を訪れ、調理技術を伝授したこともある。日本で有名な『外食レストラン新聞』は、かつてトップページで「揚州料理」を特集し、「居長竜の淮揚料理は、四川広東北京上海料理を中国四大料理とするそれまでの日本人の伝統的なイメージを覆した」と報道した。「淮揚料理の背後にある文化と含蓄は大変豊かです。私たちはたゆまぬ努力で、淮揚料理の神髄と美しさを世界に理解してもらいたいと思っています」と居さんは話す。