揚州に尽くした清廉の詩人





 鑑真記念堂の南西側を抜けると、風格がまるで違う古堂が目に入って来た。本堂の上には「平山堂」と書かれた扁額が高く掲げられている。宋代の大文学者欧陽修(1007~72年)とその弟子蘇軾がかつてここに住んでいた。

 1048年、揚州の太守(郡の長官)だった欧陽修は、深閑として古びた同地の風情を気に入り、ここに堂を建てた。堂内に座って遠くを眺めると、前に見える山があたかも堂と同じ高さのように見えることから、堂を「平山堂」と名付けた。真夏になると、欧陽修はよく友人を招いて、ここで酒を飲み詩を作っていた。欧陽修は一人にハスの花を摘んで来させ、もう一人にそばで太鼓をたたかせ、客人たちに花を手渡しで順送りさせた。太鼓の音が止まった時に花を持っていた人が、その場で詩を一首詠む、できなければ罰として酒を飲む――これは欧陽修が好んだ風雅な遊びだ。このため平山堂は、当時の揚州の上流階級や文人にとって詩を詠む場所として評判になった。




 欧陽修は揚州在任中、清廉潔白で地元の人々のためになることをたくさん行った。その後、蘇軾が揚州に赴任して来て、彼を記念して平山堂の北側に谷林堂と六一祠を建てた。

 今でも祝祭日には多くの観光客や揚州の市民がやって来て、二人の先賢をしのんでいる。「欧陽修と蘇軾は単にロマンチックな詩人というだけでなく、民衆のことを考える清廉な役人でもありました。二人は揚州に詩歌文化の輝かしい花を咲かせただけでなく、清廉を守り公務に尽くすという精神を地元の人々の心に深く植え付けました」。揚州出身の国家1級作家韋明鏵氏はこう評価している。