二つの国 二つの鑑真像
本堂に当たる大雄宝殿を抜けて北に向かうと、寺院の一番奥にある唐代様式の寄棟造りの建物が緑陰に映えていた。これは、中国の著名な建築家・梁思成(1901~72年)が、奈良の唐招提寺金堂を参考に設計した鑑真記念堂だ。門前の庭の中央に立つのは、唐招提寺第81世長老(住職)の森本孝順氏から贈られた石灯籠で、唐招提寺にあるものと同じだ。記念堂内の中央に安置されているのは鑑真の坐像で、これは唐招提寺にある鑑真像を複製したもので、タブノキを用いて彫刻し乾漆造りで仕上げたものである。

鑑真が日本で亡くなった後、日本では鑑真の乾漆木彫の坐像を作り、唐招提寺に祭って和上をしのんできた。1980年4月14日に鑑真和上坐像は初めて「里帰り」し、揚州の人々から心温まる歓迎を受けた。この坐像は鑑真記念堂に3日間安置された後、北京へ運ばれた。「里帰り」した23日間に50万人以上の人々が参拝に訪れた。
鑑真坐像が「里帰り」を終えて日本に戻った後、記念堂はガランとしてしまった。中日両国は、鑑真像の複製を作る案の検討を始め、すばやく行動に移した。粘土像から石こうの複製を作り、乾漆の着色まで、揚州漆器工場を含むチームが3カ月余りをかけ、ついに複製像を完成させた。

揚州の旧市街を歩くと、鑑真は単に歴史上の人物ではなく、揚州人の暮らしの隅々に「生きている」ことを感じた――鑑真図書館、鑑真広場など鑑真の名を取った建物が古い町に点在し、揚州のメインストリートの一つ「鑑真通り」の両側には桜が植樹され、通りの先には鑑真像が置かれている。
「仏法を発揚し文化を普及するため、鑑真大師は無私の献身的精神で中日交流の懸け橋となりました。大師は『何も恐れない』精神の象徴であり、代々の揚州人を励ましています」。鑑真への地元の人々の気持ちについて、文峰寺慈善基金会の蕭楠さんはこう語った。

