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真実の中国を世界に伝えた イスラエル・エプスタイン

張春侠=文 (文中敬称略)

国際的に著名なジャーナリストのイスラエル・エプスタイン(中国名は伊斯雷爾・愛溌斯坦)は、2005年5月末、90歳の生涯を終えた。彼は人生のうちの82年間を中国で過ごし、絶えず激動する現代中国を目撃してきた。

『中国建設』(『今日中国』の前身)の編集長をつとめたエプスタイン(左)を見舞った温家宝総理(外文局資料室提供)

エプスタインは、1915年、ポーランドのワルシャワでユダヤ人の家庭に生まれた。2歳のとき、両親とともに中国に移り住み、15歳で天津の『京津泰晤士報』に入り、ジャーナリストとしての道を歩み始めた。その後、著名なアメリカ人記者、エドガー・スノーの影響を受け、精力的に中国革命を世界に向けて発信しはじめた。

1951年の夏、エプスタイン夫妻は、宋慶齢の招きに応じ、住んでいた米国から中国に戻り、外国向けの英文誌『中国建設(China Reconstructs)』(1990年に『今日中国』と改名)の創刊に参画した。当時、中米関係はたいへん緊迫しており、米国から中国への渡航にはあらゆる問題が山積していた。エプスタイン夫妻は、ポーランドなどを経て、さまざまな困難を克服し、やっと中国へたどり着いた。

雑誌の創刊時、条件はとても苦しいものだった。編集メンバーは6名しかおらず、事務所と呼べるようなものさえもなかった。創刊号の原稿は、公園のベンチの上で話し合い、編集をし、そして完成した。当時、外国語の印刷レベルを保証するため上海で印刷していたので、エプスタイン夫妻は自ら、毎月、4日間、列車に揺られ上海へ赴き、雑誌の刷り具合などを確認した。

中国人民の古い友人であるエプスタインは、八宝山の墓地に眠っている(写真・李家宇)

その後、エプスタインは『中国建設』の編集長となり、1957年に中国国籍を取得。1964年には中国共産党に入党した。  エプスタインはこう述べている。 「私は中国を愛す。そして中国人民を愛す。中国はいわば私の家であり、これらへの愛は私の仕事と生活を中国の革命と結びつけた」

エプスタインは絶えず世界での中国のイメージを気にかけ、「真実の中国」を世界に向けてどのように伝えればよいのか模索していた。そのため、エプスタインは翻訳スタッフの外国語学習、外国向けのニュース原稿や広告を中心に、国際広報のコンテンツを改良し、多くの的確な意見やアドバイスをした。また『毛沢東選集』『鄧小平文選』など重要な著作物の英文原稿の審査に参加し、この方面の権威となった。

翻訳編集や雑誌編集長を担当した以外にも、エプスタインは独特の視点で『チベットの変化(西蔵的転変)』『アヘン戦争から解放まで(従鴉片戦争到解放)』『宋慶齢――20世紀の偉大な女性(宋慶齢――20世紀的偉大女性)』などの著作も残している。

『チベットの変化』執筆のために、50~80年代にかけて、陸路と空路で四度もチベットに足を運び、800人近くの人々を取材して百万字に及ぶレポートを残した。そして数十種類におよぶチベットの著作物を研究した。『チベットの変化』は、出版されるやいなや、世界中に大きな反響を巻き起こし、チベット研究における重要な一冊とされた。

 

人民中国インターネット版 2009年8月31日

 

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