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中・欧折衷に込めた自尊心

 

 

権勢示す「17段半」

 

慶王府公館 

 

五大道の重慶道に位置する慶王府は「五大道小洋館の頂点」の名声を博している。1923年に建てられたこの豪邸は、清朝最後の大総管太監(宦官の最高位)だった小徳張(1876~1957年)が自ら設計し、建設を監督した私邸だ。2年後、清朝皇室の一員だった慶親王載振(1876~1947年)に売却され、正式に「慶王府」と命名された。  

慶王府と五大道の純粋な西洋建築の最大の違いは、内部の至る所に見られる中・欧折衷様式だ。優雅で精緻な中・欧折衷の背後には、やるせなさと恥辱が隠されている。英国租界として定められた五大道では当時、中国伝統建築の禁止が明文化されていた。これは小徳張が自邸の設計を伝統的な四合院建築にできなかったことを意味している。そのため、幼いころから昆曲(昆劇)を習い、中国伝統文化の薫陶を受けていた彼は折衷建築を設計したのだった。  

慶王府の設計者・小徳張 

全体の配置では、小徳張は中国の伝統的な邸宅の構造はあきらめたが、庭園が建物を取り囲む西洋建築のスタイルも完全には採用しなかった。彼は庭園と住宅を並立させ、高い塀を造り、庭園と本館を建物で取り囲んだ。西洋の庭園付き一戸建ての趣だけでなく、中国の四合院住宅の精神も持たせた。

配置の発想が独特であるほか、小徳張は住宅細部の設計にも工夫を凝らしている。本館正面のピラミッド状の階段は18段でもなければ17段でもなく、風変わりな17段半だ。一番下の段は通常の半分の高さしかない。これは大ざっぱな施工に見えるが、故意に設計したものだ。中国の伝統文化では、9とその倍数は君主専用の数字だった。小徳張は階段をわざと17段半で設計し、君主の18段より半段低くした。一つには君主への畏敬の念を示すためであり、もう一つには自分が「君主の下、大衆の上」という権力の座に上り詰めたことを示すためだ。

 

 

90年前の姿探る研究者

 

 慶王府公館のロビー
天津大学大学院で建築を研究する王倩妮さん(25)にとって、慶王府は熟知した存在だ。指導教官の指導の下、彼女は今学期、「東アジア建築」というテーマの研究対象に慶王府を選んだ。過去半年の間、王さんは時間さえあれば慶王府の図面を持ち、内部をゆっくりと歩いてきた。時に立ち止まり、鉛筆で記録や印を図面に書き込んだ。  

90年以上の歴史を持つこの建築物には彼女をうっとりさせる部分が多い。「私にとって慶王府は外来文化と伝統文化の衝突でできた空間です。こうした文化衝突は決して火花を散らしたのではなく、大きな相乗効果を伴って融合したという点に驚かされます。例えば庭園の配置では、南北の両側は明らかに中国江南地方の庭園とフランスの現代

慶王府の窓にはイタリア風の着色グラスが使われているが、小徳張はそれに中国の山水画を描かせた 

庭園の手法が両立しています。また本館内には着色ガラスをはめた窓があります。あれはイタリア式の設計ですが、描かれているのは中国の伝統的な山水画で、かえって全く新しい芸術的な美しさを放っています。通常、大きな違いを持つ文化的要素を巧妙に心地よく一つの空間に溶け込ませるのはとても難しいことです。しかし小徳張はやり遂げたんです!」。王さんは慶王府の魅力をこう説明する。  

現在現在の慶王府は歴史建築文化財として保護されるとともに、天津で初めての歴史文化をテーマとしたホテルになっている。王さんは研究中のテーマについて問われると、慶王府は何度か転売されて外観に手を加えられ、現在では建築当時と異なる部分が多いと指摘した。彼女は現地調査を通じ、歴史的文献などの関連資料と結び付け、小徳張時代の姿を探り、慶王府の保護・修復に価値のある情報を提供しようと考えている。

 

人民中国インターネット版 2015年5月25日

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