山奥の色彩――余さんとお針子たちの物語

2020-06-09 11:30:35

秦斌=文・写真

 1970年代生まれの余英さんは、今まで貴州省の山奥にある100以上の村を訪ねてきた。そこには美しい自然環境と、素晴らしい伝統刺しゅう工芸が息づいている。しかし、経済的な理由によって、村人の多くが都市部へ出稼ぎに行き、村は一時空っぽの状態に陥り、伝統工芸の後継者不足問題が深刻化していた。

  余さんは、同地の刺しゅう工芸の魅力に気付き、山奥に伝統工芸生産システムを立ち上げた。それによって、刺しゅうに携わるお針子たちは村に残ることができ、村の美しさも保たれた。

 

伝統的なミャオ族の刺しゅうは、さまざまな装飾品に仕上げられる

 

山奥の手工芸生産システム

 冬の午後、貴州省黔東南ミャオ(苗)族トン(侗)族自治州(以下、黔東南州)凱里市凱棠郷梅香村では、民族衣装を身にまとった十数人のミャオ族のお針子たちが、余さんの周りを囲んでいた。

 梅香村は山間部の貧困村だ。交通の便が悪く、外部とのつながりは少ないが、ここにはミャオ族の素晴らしい伝統刺しゅう工芸が代々受け継がれている。貴州省は2013年から、少数民族の歴史・文化を広め、少数民族女性の就労や社会参画問題を解決し、一人暮らしの高齢者や出稼ぎ者の子どもが村に取り残される現状を改善するために、「錦しゅう計画」を打ち出した。余さんはこのプロジェクト実行者の一人だ。

 余さんは貴州省の省都・貴陽市の出身。大学卒業後、メディアで記者の経験を積んだ後、家電や化粧品分野を取り扱う大手企業でマーケティングの仕事に携わっていた。09年、起業のためのプロジェクトを探していたとき、偶然、黔東南州少数民族地域の刺しゅうと出会った。そして、瞬く間にその個性的で美しい刺しゅう作品に心を奪われた。

 

伝統と現代の要素を組み合わせたミャオ族刺しゅう柄の手提げかばん

 念入りな市場調査を経て、14年、余さんは貴州省の山奥に、「錦しゅうシステム」と呼ばれる農村部手工芸生産モデルを立ち上げた。このシステムは、黔東南州の雷山県に、刺しゅう工芸の養成拠点を設け、余さん自らの出資でプロのお針子を養成するものだ。養成期間は1カ月。養成期間中、お針子たちは1日30元の手当をもらう。一人のお針子を育て上げるのにかかるコストは1000元程度。養成終了のテストに合格した人は、正式なお針子として、会社と契約を結ぶ。契約したお針子は自分の暮らす村に帰って、所属の刺しゅう工房で受注した刺しゅうの仕事をする。こうすることにより、就職して収入を得ることと、家庭の世話の両立が実現するわけだ。現在、余さんはすでに手工芸の優れた伝統がある30以上の村と協力関係を結んでいる。

 刺しゅうの完成品は、1枚ごとにその質で値段がつけられる。余さんを村の「救いの星」と呼んでいる梅香村党支部書記の顧蘭花さん(46)は、勤勉なお針子は毎月3000〜4000元の収入が得られ、家の仕事をしながら刺しゅうをしている人でも、1カ月1000元の収入が得られるという。「錦しゅう計画」が始動してから、多くの女性が都市部から村に戻ってきて、お針子として活躍している。現在、梅香村には100人を超えるお針子がいる。

 

ミャオ族の村に暮らすお針子たちが、図案に従って布に刺しゅう糸を通している

 

刺しゅうで女性の社会的地位向上

 刺しゅうの仕事で得られた収入は、農村女性の経済状況と村の様相を変えただけでなく、彼女たちの家庭における地位をも変化させている。

 冬のある日、余さんは黔東南州の丹寨県排莫村にやって来た。この村はろうけつ染めで有名だ。家々の前にはさまざまな色や柄に染められた布が干されている。

 排莫村は「錦しゅうシステム」のもう一つの生産拠点だ。染物の仕事に従事する女性たちの家で、余さんは春物の新作のサンプルを念入りにチェックしている。楽しくおしゃべりしながら染物の仕事をしている女性たちを見て、「彼女たちはとてもエネルギッシュな産業の大軍ですよ」と余さんは言う。「少なく見積もっても、貴州省全域で100万人を超える女性が手工芸生産能力を備えています。1人当たりの年間収入が最低1万元だとすると、全体でどれほど多くの富をつくり出しているかは想像に難くないでしょう。これが刺しゅう針に秘められた力なんです」

 

刺しゅう布を木の枠に掛けて作業をするお針子

 今日まで余さんは3000人以上のお針子を養成してきた。彼女が変えたのは村の様相と女性たちの経済状況だけではない。社会や家庭における女性たちの地位も大きく変化した。余さんは初めて村に入ったとき、女性が家事と野良仕事の大部分を任されているのに、家庭内での地位はそれに見合ったものではないことに気がついた。

 お針子の多くは文字が読めない。刺しゅうの収入の受け取りと管理を夫に委ねている人もいる。それを見た余さんは、「これでは駄目。このお金はあなたが自分で一生懸命働いて得たものなの。必ず自分で受け取りに来なさい。字が書けなくても大丈夫、母印を押せばいいわ」とお針子に言った。文字が書けないお針子たちのサインは、余さんの団体のスタッフが、ペンを持ったお針子の手を握って、絵を描くようにして少しずつ書き上げたものだ。

 自分の収入を持つようになったお針子たちは、手持ちのお金を合理的に分配するようになった。そして表彰されたお針子たちは、村の誇りとなった。

 余さんは、「刺しゅうは技術だけではありません。そこには多くの社会的・文化的な内容が含まれているんです」と言う。お針子たちには器用な両手がある。その手は美をつくり出し、富をつくり出す。余さんはお針子たちと共に、刺しゅうや染物などの伝統工芸を現代生活に必要な品物とコラボさせ、市場経済のてこを通して、美しいが脆弱でもある農村経済の下支えになろうと努力している。

 

幸せに対する願いをかなえる

  余さんがミャオ族の刺しゅうを広め、受け継いでいくために歩んだ道は決して平坦なものではなかった。

 余さんは言う。「第一に、私は一人の商売人です」。彼女は商売人の頭脳とたくましさを持っている。ミャオ族の刺しゅうを市場に押し出すために余さんが考えた戦略は、現代的でファッショナブルな消費理念と伝統的な手工芸の魅力をうまく組み合わせることだった。しかし、そのコラボは容易なものではなかった。

 お針子たちとの協力の初期、初めて完成品を手にした余さんはあぜんとした。刺しゅうが黒ずんでいるのだ。無理もない。お針子たちには手洗いの習慣がなかったのだ。野良仕事を終えてそのまま刺しゅう針を手にする。そうして出来上がった刺しゅうは汚れが激しく、全く売り物にならない。

 お針子たちは伝統的な色彩を使うことに慣れている。しかし派手な赤や緑は現代都市部の美的感覚とは相いれない。それを解決するために余さんのチームは新しいデザインを考案したが、お針子たちを説得して新しい手法の刺しゅうにチャレンジしてもらうのにも多くの手間暇がかかった。手抜きをしたり、他人に代わりに刺しゅうをしてもらう現象もしばしば。そんなとき、余さんはそのお針子の前で、出来の悪い刺しゅう作品を切り裂いた。

 

貴州省黔東南州の村。余さんがお針子たちに新しい刺しゅうのデザインを見せている

 村との協力も初めはうまくいかなかった。余さんのチームは10年、ある村との商談に取り掛かっていた。そのとき、村の幹部は「刺しゅうで金もうけができるものか」と疑いの目を余さんたちに向けた。それが当時、村での一般的な考えだった。手作業の刺しゅうは時間がかかる上に、多くの労働力を必要とする。その割に市場では高値がつかない。だから多くのミャオ族の女性がこの伝統を諦め、代々受け継がれてきた手工芸は衰退の危機にさらされたのだ。

 数々の困難な局面に立ち向かいながらも、余さんは諦めようとはしなかった。それは初めてお針子たちに会ったときの彼女たちの眼差しを今でも忘れられないからだ。余さんが丹寨県雅灰郷の紅梅旅行社で刺しゅうの養成講座を初めて開いたとき、60人余りのお針子たちが彼女をじっと見つめていた。その目にはためらいもあったが、希望の光も映っていた。「それは、幸せを切に願う眼差しでした」

 余さんが堅持してきたことは、大きな成果を上げた。13年、貴州省の政府活動報告の中で、手工芸産業を発展させる「錦しゅう計画」は民生事業のトップ10に入った。

 この数年、余さんは刺しゅうの事業拡大を図るため、1000万元余りの自分の貯金を全て注ぎ込んだ。「結果がどうであれ、自分で自分を表彰したいです。みんなの努力が実って活力を取り戻した村と、生活を大きく変化させたお針子たちが、私の一生の財産です」

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