上海万国博覧会(上海万博)事務協調局と上海万博日本産業館出展合同会社は北京で9日、日本産業館の出展契約に調印した。産業館のテーマは「日本が創るよい暮らし」で、上海の元江南造船所の跡地に、テーマ別の展示や日本のグルメ、お土産コーナーなどが設けられる。「チャイナネット」は、金融危機の中で着々と準備が進められている上海万博について、日本産業館の堺屋太一代表兼総合プロデューサーにインタビューを行った。

日本産業館の堺屋太一代表(3月9日撮影)
1、不況の中で始めた万博は成功する
米国のサブ・プライム・ローンに始まった金融危機が全世界に広がり、実態経済にも深刻な打撃を与えている。こうした不況の中、上海万博は成功するのだろうかと心配している人も多い。しかし、堺屋代表は「不況で始めた万博のほうが成功する」と、意外と楽観的だ。
前日行われた出展契約の調印式で堺屋代表は、「目下は世界大不況、日本産業館への出展にも難しい状況がありました」とあいさつの中で述べたが、景気が悪い中での出展企業の誘致には、苦労も多かったことが想像できる。今のところ日本産業館への出資企業は14社で、まだ3社ないし4社の参入余地があるという。
このような社会情勢の中で、堺屋代表は上海万博に対してとても楽観的だ。
「過去の例を見ると、不況の時に着手した万国博は必ず成功しています。例えば1975年に開催された沖縄海洋博。この準備が始まったのは1973年秋ですが、まさに石油ショックの真っ只中であり、日本は戦後最大の不況時でした。一時は中止論さえ出ましたが、実際は大成功。沖縄を日本一の観光地にする原動力になりました」
「海外でも大成功だったのが、1992年のセビリア万博です。準備が始まった1990年は日本のバブルが弾け、米国でもジャンク・ボンドが破綻し、S&P(貯蓄貸付け組合)が1000以上も行き詰った時期でした。ところがセビリア博は入場者が予想の1.6倍で、大変な黒字になりました」
「1933年開催のシカゴ万博は、株も物価も大暴落している世界大恐慌の1930年に準備が始ままりますが、それも大成功し、それ以来、不況期に準備が始まる万博は大成功するといわれています。同じことは愛知万博にもいえます。日本の2003年は景気が悪く、株が大暴落した時期でしたが、2205万人が訪れ、規模のわりには大成功でした」
堺屋代表は、「現在の世界不況時に着工した上海万国博覧会も必ず成功する」と自信満々だ。
2、展示館建設型万博は10年に一度の世界行事
堺屋太一代表は、大阪万博の開催を提唱し、当時、日本の人口の7割に当る6421 万人を動員して万博を成功させた。また1992年のセルビア万博日本政府館の総合プロデューサーも担当している。今回の上海万博の基本状況について、堺屋代表は次のように語る。
「万博(EXPO)といわれるものにはいくつかの種類がありますが、その中で最大なのが、展示館建設型と出展各国が原則として自らの負担で展示館を作る万国博覧会です。この他には、主催者が各国の展示館を用意するもの、出展各国が内部の展示のみを行うもの、展示館貸与型、特定の分野に限った展示の特別な万博などもあります」
「2005年に行われた愛知万博は、展示館貸与型といわれる小型の万博でした。2010年の上海万博は展示館建設型です。このタイプの万博は、第二次大戦後の1958年に開催されたブリュッセル万博、1970年の大阪万博など5回しかなく、上海は戦後6番目です。日本でも、特に若者は、万博といえばすぐ愛知万博を思い浮かべますが、展示館建設型は展示館貸与型の規模をはるかに超えています」
「上海万博は、7000万人以上の観客が見込まれている史上最大の国際行事で、会場は上海市中心部に近い黄浦江の両岸約328ヘクタール(有料会場面積)、1970年の大阪万博(180ヘクタール)や愛知万博(173ヘクタール)をはるかに上回る規模です」

日本産業館の効果図を説明する堺屋代表(3月9日撮影)
3、日本産業館出展リストには、なぜ中国でよく知られている企業がないのか
日本産業館出展の企業リストには、トヨタやソニーのような中国でよく知られている企業の名前が見られないが、堺屋代表はこう説明する。
「グローバルスポンサーに上海汽車とシーメンスが入っているので、競合しないほうがいいと思い、日本産業館には自動車と電機メーカーは参加していません。中国の人によく知られているのは自動車や電機メーカーですから、出展企業の中には名前を知らない会社もあると思います。しかし今回の出展企業は、売上高4000億円から1兆円で、技術開発や社会貢献を熱心に行っている日本の企業です」
企業にとって万博出展は膨大な費用がかかるが、一体企業にとっては何のメリットがあるのだろうか。
「まずは社会貢献。つまり上海の人々を楽しませることです。次は新しい技術、新しいやり方でやるということで、技術の開発になり、思想や美意識でのイノベーションにつながります。三番目は、企業が万博に出ることは業界を代表することです。そして世界に向かって企業の『旗を立てる』ことになり、存在感を高めます。日本産業館は1分野1社ですから、日本産業の代表選手として出展するわけです。四番目は従業員の志気を高めることができます」
「日本の企業は米国の企業と違い、従業員から社長さんまで、みんながまとまって一つの家族のような文化です。きめの細かい人間的な企業という点を見せたいのです」と、上海万博は中国で日本の民間企業の文化をPRするチャンスでもある。
4、開催都市の上海にとって万博とは
2010年5月1日より10月末まで開催される上海万博。開催都市の上海にはどんな変化をもたらすのだろうか。堺屋代表はこう読み解く。
「まず万博は、文化と経済、私たちの生活に大きな影響を及ぼします。1970年に開催された大阪の日本万国博覧会を例とすると、動く歩道、ワイヤレスフォン、缶コーヒー、ファーストフードなどは、この万博で登場し、その後、私たちの生活に普及しました。またリニアモーターカー、テレビ電話、電気自動車なども登場しましたが、いまだ普及途上にあると言えます」
「開催都市にとっては、考えも及ばない発展を意味すると思います。大阪でも名古屋でもその後の約10年は発展しました。パリとシカゴは輝かしい文化を創った例です。パリでは4回も万博が開かれましたが、ヨーロッパで一番文化の多い都市となりました。それまではむしろ文化と言えばウィーンでしたから」
「2010年以降、うまくいけば上海は世界の文化の中心になると思います。デザイナーたちもそう信じています。都市に地下鉄ができるとか、ビルが建てられるとかは小さなことで、大きな文化の発展や情報発信の意味では、ずっと歴史に残る大きな出来事になるでしょう」
5、中国に影響を与えるオリンピックと万博
昨年8月に北京で開催されたオリンピックの興奮や感動は、中国の人たちにとってまだ新鮮な記憶として残っている。そんな中で上海万博は来年の開催だ。
「上海万博は、目標入場者数7000万人という大規模な国際行事で、実際の入場者数は1億3000万人ほどになるでしょう。北京オリンピックの入場者数は約800万人。その他の人たちはテレビでオリンピックを見ていました。しかし実感するのと映像で見るのとではずいぶん違います」
「NHK は以前、20世紀で一番印象に残った行事は何かというアンケートをしたことがありますが、40%以上が大阪万博を選び、東京オリンピックを選んだ人は2割しかいなかった。だから上海万博が終われば、中国の人々にとって一番心に残る行事は万博だと思います。事業規模や社会的影響も、北京オリンピックをはるかに上回ります」
「チャイナネット」2009年3月12日
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