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エスペラント翻訳家・李士俊氏逝去

李士俊氏(右端)と許淵衝氏、屠岸氏は、翻訳文化特別功労賞を受賞の後、外交部の李肇星元部長、中国外文局の周明偉局長、郭暁勇常務副局長と記念撮影に臨んだ

中国の著名翻訳家・李士俊(エスペラント名Laŭlum)氏が2012年11月10日、病気のため逝去した。同氏はアカデミーオ・デ・エスペラント会員でエスペラント教育家、作家。中国翻訳文化特別功労賞、エスペラント運動特別功労賞を受賞してきた。

2012年10月12日、李士俊氏はエスペラント125周年座談会に出席、郭暁勇外文局副局長と懇談した

李氏は1923年3月29日河北省安国市の生まれ。生涯をエスペラント運動の発展と対外報道事業に捧げ、中国と世界のエスペラント界に幅広い影響を残した。1983年にアカデミーオ・デ・エスペラント会員に選出され、2003年には第88回世界エスペラント大会でグラボウスキ最高賞を授与された。04年には世界エスペラント協会名誉会員に選出された。同年、北京で開催された第89回世界エスペラント大会では大会の大学学長に就任した。李氏は1991年から国務院が発布する政府の特別手当の支給を受けた。2010年に中国翻訳協会から中国翻訳文化特別功労賞を授与され、11年には中華全国エスペラント協会からエスペラント運動特別功労賞を受けた。

1995年、李士俊氏は日本の山梨県北杜市を訪問した際に、日本のエスペランティスト森田洋子氏と交流した

李氏は生涯勤勉な態度で研究にいそしみ、エスペラントに献身的精神で取り組み、翻訳と創作作品で中国と各国の文化交流事業に卓越した業績を残してきた。同氏は中国四大古典文学のうち『水滸伝』『三国演義』『西遊記』を翻訳した中国翻訳史上最初の人物となった。また、『アシマ』『聊斎志異』『四世同堂』などを含む大量の中国文学の名著を翻訳した。さらに、多くのエスペラント教材を編著した。

2004年、北京で開催された第89回エスペラント大会の閉幕式に出席した李士俊氏(右端

生涯エスペラント教育事業に取り組んできた李氏の門下生には多くの優れた人物がいる。同氏は中国伝媒大学、青島大学エスペラント課程の客員教授を務めたほか、中国人民大学、北京外国語大学、上海外国語大学などでもエスペラントを教え、中国のエスペラント運動に多くの人材を育ててきた。

2012年10月12日、エスペラント125周年座談会で日本のエスペランティスト臼井裕之氏と懇談する李士俊氏

李氏の逝去に対し、中国共産党中央政治局委員で中央書記処書記、中央宣伝部部長の劉雲山氏と、中国共産党中央宣伝部副部長で中央対外報道弁公室主任の王晨氏、中国共産党中央宣伝部副部長で人民日報社総編集長の蔡名照氏、全国人民代表大会常務委員で全国人民大会外事委員会主任委員、全国翻訳協会会長の李肇星氏、中国人民協商会議全国委員会常務委員で中華全国エスペラント協会会長の陳昊蘇氏、中国外文局局長の周明偉氏から花輪が贈られた。

2006年、中華全国エスペラント協会55周年記念活動の際、李士俊氏は各国のエスペランティストが中国報道雑誌社を訪問するのに付き添った

陳昊蘇氏は、「李氏は終生エスペラントの理想を実践し続け、エスペラントの研究と普及に力を尽くし、エスペラント事業に打ち込んできた。中国の文化発展と国内外の文化交流に果たした偉大な貢献は、中国の幅広いエスぺランチストに永遠に記憶されるだろう」と、哀悼の意を表した。

2005年、「エスペラントと調和の取れた社会フォーラム」の際に記者の取材を受ける李士俊氏

李士俊氏の告別式は11月14日午前10時から、北京の八宝山革命公墓で行われ、中華全国エスペラント協会第一副会長、中国翻訳家協会常務副会長、中国外文局常務副局長の郭暁勇氏が、中華全国エスペラント協会、中国翻訳家協会、中国外文局をそれぞれ代表して参列した。

北京と全国のエスペランティスト、北京で生活する各国のエスペランティスト、生前の友人ら約100人が告別式に参列し、李士俊氏に最後の別れを告げた。

 

人民中国インターネット版 2012年11月14日

 

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