中国初の「個体戸」食堂が守る、変わらない味

 

 

時代が変われど味は変わらず

「もちろん、開店当初の35年前からは客の嗜好も変わっています。食材は豊富になりましたし、今は健康志向で油の量は控えめが受けていますしね。でも、うちは基本的に味を変えていません。何十年来の古いお客さんもいるし、今では逆にこの古めかしい味が新鮮だと来てくれる若いお客さんもいますからね」と語るのは、孫の郭誠さん(31)。創業者夫妻はすでに高齢のため、自宅で悠々自適の老後を過ごし、店は誠さんをはじめ、家族全員で代わる代わる見ているそうだ。あえてオーナーは誰とは決めず、家族全員で助け合うスタイルを貫き、「悦賓」の伝統を守るのがポリシーという。昼休みはあえて設けず、食べたい時にふらりと立ち寄れる、そんな気軽さも「北京っ子の食堂」を自認するゆえんだ。

特に週末は混みあうが、予約をせずにふらっと行くのが似合う店。「嘗嘗看」(召し上がれ)の書は、開店を祝って創業者夫妻の友人が書いたもの

 取材中、昼どきをかなり外れた3時過ぎにふらりと一人でやってきた張毅さん(54)。すでに20年は通っているという彼にとって、悦賓はまさに「わが家のキッチン」。メニューも見ずにナスの炒め物と店の名物の干焼魚を注文し、瞬く間にぺろりと平らげた。

 「午前中から仲間とバドミントンに行ってたんだ。それでつい昼飯を食べそこねたからもう腹ペコで。ここは昼休みがないから本当に便利だよ」と、コーラに押されて最近影が薄くなったものの、北京っ子で知らぬものはないミカン味ソーダの「北冰洋汽水」を飲み干しつつ、満腹のおなかをさすって満足げだ。「ここの料理は高くないし、材料もいいものを使ってる。何と言っても味が安定してるから、いつ来ても安心できるんだよ。君たちはもう食べたの? 取材だって、食べなきゃ分からないだろ?」。そう豪快に笑うと、BMWのビッグスクーターにひらりとまたがり、雨模様の東四西大街を東に向かって帰途に就いた。

看板メニューは「庶民の北京ダック」

張さんの言う通り、悦賓は内装といい料理といい、至って家庭的。ひと皿のボリュームもたっぷりで、レストランと呼ぶよりも食堂と呼んだほうがぴったりのたたずまいだ。開店当初から少しずつ品数を増やしていって、名物料理は蒜泥肘子(豚すねのニンニクソースがけ)、清炒蝦仁(エビの塩炒め)、麺筋白菜(揚げ麸と白菜の炒め煮)、鍋塌豆腐盒(挽き肉挟み豆腐を衣焼きし、うま煮にしたもの)、干焼魚(揚げ魚の甘辛ソース煮)などが人気で、いずれもオーソドックスながら「ちょっとひと工夫」が人気の秘密である。

そんな「普通の料理」が並ぶメニューの中に、「五絲桶」という異色の一品がある。悦賓のオリジナルで、メニューに加えたのは88年ごろ。以来、「悦賓に行ったらとにかく五絲桶」と、一番人気の座を保っている。この料理が出された当初、私は初めて悦賓を訪れ五絲桶を食べているが、「こんな凝った料理が普通の食堂で食べられるなんて!」と感激したものだった。個人経営の飲食店が増えていた当時でも、出される料理は炒め物ばかりとあまり工夫がなく、胡同の小さな食堂でオリジナリティーあふれる料理を出すことに、店の気概を感じたからである。以降、北京を訪れるたびに必ず足を運び、五絲桶を注文するが、当初と変わらぬ味に、北京に「戻ってきた」ことを実感できる。

看板メニューの五絲桶。細切りの具材を薄焼き卵でくるみ、油で揚げた手の込んだ一品

もちろん単品でもいいが、葱とテンメンジャンを添え、荷葉餅で包んで食べるとまた格別である

誠さんによると、五絲桶は祖父の培基さんが北京飯店の広東料理レストランで食べた料理をヒントにアレンジを加えたもので、鶏肉、豚肉、中国の細いセロリ、ネギ、ショウガを細切りにして炒めたものを薄焼き卵で巻き、からりと揚げてある。「五つの」「絲(細切り)」が「桶(筒)状」になっているから「五絲桶」というわけだ。これを別注文の長ネギ、甜麺醤(テンメンジャン)と共に荷葉餅(小麦粉でつくった薄焼きの皮)でくるりと北京ダックのように包み、揚げたてを頬張ると、サクサクの薄焼き卵の衣の食感の後に、セロリの爽やかな香りが口いっぱいに広がる。そこに豚と鶏がわずかな肉っぽさをプラスすることから、私はひそかに「庶民の北京ダック」と呼んでいる。始めた当初は鶏の首の部分をゆで、肉を手で丁寧に細かく裂いていたという。鶏の首はスープの材料にするほど安価なものの、肉が骨にしっかり貼り付いているため、肉を取り出すにはかなり手間がかかるはずだ。少しでも安く、おいしいものを提供しようという工夫がそこにはある。店の規模が大きくなった今はさすがにそこまで手をかけられず、味の濃いもも肉を使っているそうだが、そんな地道で細やかな努力の積み重ねが、今の悦賓を支えていると言って間違いないだろう。

「レストランが増えすぎて、過当競争も激しくなってくると店を畳みたくなることもあるでしょう?」と、ちょっといじわるな質問を誠さんにぶつけてみた。すると一笑、「私たちの店は改革開放と共に生まれ、祖父母の時代から北京の発展をずっと見守ってきました。その重みが私たち家族の肩に乗っているという自覚が常にあります。そんなに簡単にはつぶせませんよ」と即座に返事が返ってきた。世代が変わっても、創業の思いは子どもたちに確実に受け継がれている。北京っ子らしいきっぷに支えられた胡同の小さな食堂は、これからも訪れる人びとに満腹と笑顔をもたらし続けるだろう。

中国美術館

住所/北京市東城区五四大街1号

電話/6400-1476

開館時間/9:00~17:00

中国国内で最大規模の美術館。国内の美術家の展示のみならず、海外作家の展示も行われている。入館無料。

老舎故居

住所/北京市東城区灯市口西街豊富胡同19号

電話/6559-9218

開館時間/9:00~16:30(月曜閉館)

生粋の北京っ子で、生涯北京を愛し続けた小説家・老舎の、1949年から亡くなるまでの住居。典型的な四合院の生活を垣間見ることができる。参観無料。

王府井教堂

住所/北京市東城区王府井大街74号

電話/6524-0634

開館時間/6:00~11:00、14:00〜16:30

1904年に建てられた、ロマネスク建築のカトリック教会。細部に中国伝統建築の要素が見られ、中洋折衷建築としての鑑賞もまた楽しい。参観無料。

中国照相館

住所/北京市東城区王府井大街180号

電話/6512-0623

営業時間/9:00~20:00

(広岡知音=イラスト)

 

information

悦賓飯館

住所/北京市東城区翠花胡同43号

電話/8511-7853

営業時間/11:00~21:00

翠花胡同のT字路を左に曲がったすぐ先に、姉妹店の「悦仙美食」がある。メニューは悦賓飯館と同じなので、悦賓が満席の時にはこちらに。

 

悦仙美食

翠花胡同31号

 

 

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