日本に一時帰国しています。半年ぶりですから、そう物珍しくもないのですが、雨のそぼ降る東京で、奇怪に思ったのは、他でもないワタクシの心境の変化でした。
手にしていたのは、折りたたみ式の中国製傘。ナイロンの赤い生地で、タータンチェックのプリント柄の“ド派手”な傘です。赤が「おめでたい色」とされる中国ではしっくりきたし、この傘が「吉祥(福)を振りまいているんだ」くらいの大きな気持ちで、悠然と北京の街を歩いたものです。
ところが、今日は違いました。派手な傘がどこか気恥ずかしいのです。選んだブラウスが「色弱検査表」のようなゴチャゴチャしたプリント柄だったこともあります。傘と合わせたら、まったくコーディネートされていない、チグハグな井出達になってしまったからでした。
しまいには、道行く人たちが差している、透明なビニール傘を買おうかとも思いました。数百円と安く求められるし、おしゃれではないけれど、無難なアイテムです。けっして派手さを二乗したような、ごてごてのファッションにはならないでしょう。
私は知らずうちに、日本に同化しようとしていました。「人と違うことが恥ずかしい」「人は自分をどう見ているのか」「できるだけ目立たないようにしよう」などなど……。
北京に長年住んで人の目を気にしなくなり、大陸的な中国に、現地化していたはずの私。男性用のボロ自転車を乗り回し、ソフトクリームを片手にぶらぶらするなど、いい意味で、肩の力を抜いて暮らしていたはずなのに、帰国したとたん“日本人”らしくなってしまいました。そう振舞わなければならない、と萎縮してしまったのです。
この、日本独特のキュウクツサや緊張感は、目に見えるものではないけれども、何なのでしょう。
「日本は恥の文化」「日本人の生活において恥が最高の地位を占めている」「恥が主要な強制力となっている」と述べたのは、ロングセラー『菊と刀』のルース・ベネディクトでした。恥によって、行動が規制される……。私は期せずして、東京の雨に「恥の文化」を思い起こしました。自分のなかに、歴然とした「恥の文化」を認めたのです。
ビニール傘でその場しのぎをしようとする自分にも、どこか納得がいきません。その上、今回は不覚にも、赤い傘に合うような衣服を持ち合わせていないのでした。いまはただ、早く天気にならないかな~と厚い雲をながめつつ、祈るような気持ちでやり過ごしているワタクシでした。(『物語北京』(五洲伝播出版社)より)
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小林さゆり (こばやし・さゆり)
フリーランスライター、翻訳者。長野県生まれ。大学卒業後、日中友好協会全国本部(東京・神田、現在は社団法人)に勤務し、機関紙『日本と中国』の編集を担当。2000年9月から5年間、中国国営の『人民中国』雑誌社に日本人文教専家として勤めたのち、フリーランスに。北京を拠点に、中国の社会や文化、暮らしなどについて、日本の各種メディアに執筆している。著書に『物語北京』(五洲伝播出版社)。 |
人民中国インターネット版 2009年2月20日
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