野村万斎氏に聞く
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『茸』。屋敷中に大きな茸が生えて困惑する主人(右から一人目・野村万斎) |
――万斎先生は、狂言界はもちろん、映画、テレビドラマ、現代劇など幅広い分野でご活躍なさっていますね。現代に生きる狂言師として、お能や狂言という伝統芸能が現代社会での生き方、あり方について、ご感想を聞かせていただければ幸いです。
いろいろな時代の中で、狂言がこれほど注目を浴びた時代はないと思いますね。それはひとつやはり、狂言を演じる環境が非常に良くなったということです。昔は狂言をやってても、食べられなかったこともあるわけですね。今、狂言をやっていて、生活できるようになりました。公演する場所もたくさん増えました。それから、うちは今三代が狂言に携わっています。父、私、そして息子と甥です。このように世代が揃うと、とても充実した演技ができますね。そういうところで、やはり狂言も非常に注目を浴びます。もちろん、われわれは狂言のなかの古典をやって、その成果を認めていただかなければいけません。しかし、伝統ということは、現代にどこから発信している、なにか情報としてちゃんと影響力を持つということも重要だと思いますね。ですから、古典だけをやるということも大変重要ですけれども、古典の手法を使いながら、新作をやることも大切です。たとえば中日合作の『秋江』という作品をすることで、中国の方も含めて、いろいろなものを考える機会になります。それから、私たちがシェークスピアを公演するとか、いろいろな現代劇に負けない作品作りをします。そういうようなことを意識的にしますね。とはいえ、外に出るばかりがいいのではなく、やはり守るべきもの、うちに向くものと外に向くものの両方を大事にしていこうという精神を持たなければいけないと思っています。中国のいろいろな伝統芸、たとえば雑技がシルク・ドゥ・ソレイユなどのサーカス団に吸収されて、世界で回ってますね。素晴らしいことだと思います。つまり、バランス感覚が重要ですね。
――中国での公演に過去何度も参加しましたね。これからの作品作りは中国と関連のあるものを考えていますか?
最初に中国に来たのは二十五年ぐらい前です。当時は高校生でした。中国の「漢字」という文化がすごい発明だと思います。アルファベットとまったく違う文化で、しかも中国と日本だけが使っていると言ってもいいですね。ですから、漢字を使ったパフォーマンスという舞台芸術をいま作っています。作った作品のなかで、漢字と演技が一緒になっているのがあるんです。漢字というものの素晴らしさを一度表現してみたいなと思います。
人民中国インターネット版 2009年5月20日 |