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中日伝統演劇界の「雪中送炭」

 

靳飛=文・写真提供

靳飛 北京出身。学者、作家、劇作家。東京大学講師、特任教授を経て、東京大学北京代表処代表を歴任。現在、日中伝統芸術交流促進会名誉会長、中日両国語版の昆曲『牡丹亭』のプロデューサー。著書は『風月無辺』『桜雪盛世』『茶禅一味』など多数。

 自然災害は場所を選ばずにどこかの地域を直撃するものだが、どこかの国、どこかの民族だけが被害をこうむるわけではなく、人類全体が被災者だと考えなければならない。M9.0の東日本大震災が起きると、中国救援隊が直ちに日本に向かい、また、程永華駐日大使が「日本で起きた有史以来最大の震災に対し、中国国民はわが身のことと受け止めています」という声明を発表したことが、如実に物語っている。

惨状と人情を目の当りにしながら、私は中日演劇交流史に残る地震に関わる二つの佳話を思い出している。1923年、関東大震災の際に、そのニュースが中国に伝わると、梅蘭芳先生は直ちに500元大洋(旧銀貨)を震災見舞いとして日本大使館に届けさせた。また、「日本が見舞われた大震災に同情を禁じ得ません」という趣旨の書簡も一緒に託した。

1925年、坂東玉三郎の祖父十三世守田勘弥が、梅蘭芳から中国の服や扇子を頂いた。そのときその服を着、扇子を手にして記念写真を撮った。

「個人として、困っている人を支援するという意味であり、隣国国民の一人として、君子の交わりという道義的な意味合いも込めていた。『隣国の救済は各人の責任』。かつて日本を訪れ、盛大な歓迎を受けた私も、震災被災者の皆様に援助の手を差し伸べたいという気持ちは人後に落ちない。私は全国の演劇界人士に呼びかけ、国際的な震災救援公演を行い、災害に遭われた日本の皆様と日本で居住している中国系の皆様に対する義援金を集めたいと考えている」、という内容だった。 

関東大震災後、梅蘭芳、楊小楼、余叔岩、龚雲甫、陳徳霖、王鳳卿、王又宸、尚小雲、郝寿臣、馬連良、姜妙香、蕭長華ら京劇の名優たちが北京第一舞台劇場で2回の公演を行い、劇場の賃貸料などの諸経費を除いた全額8367元を被災地に贈った。この金額は当時の低額所得者の人力車夫730人分の月収に相当し、中程度の所得層の小学校教師335人の月収の合計に匹敵していた。当時の日本の物価と給料は北京に比べて低かったから、支援できた人数はもっと多かったかも知れない。 

それから85年の時を経て、2008年5月15日、中国の観客が「日本の梅蘭芳」と呼ぶ歌舞伎俳優・坂東玉三郎が、かつて梅蘭芳が出演していた北京湖広会館大劇場で中国初公演を行った。演目は中日両国語版の昆曲『牡丹亭』と中国語版の歌舞伎『楊貴妃』だった。

玉三郎の発案で実行された中国公演について、本来は長い長い話をしなければならないが、ここでは概略にとどめておこう。一言で言えば、この北京公演の夢は玉三郎と私が11年かけて実現したものなのだ。玉三郎は苦労に苦労を重ねて昆曲を勉強しただけでなく、総監督も舞台装置も全部自分で引き受けた。私は、プロデューサー、監督、シナリオ、宣伝、チケット販売を受け持ち、日本の音楽に合わせて『楊貴妃』の中国語の歌詞を書いた。これは私たち二人がよくやったと自慢しているわけではなく、われわれ二人にしかできなかったことだといいたいのだ。この北京公演は中国で大反響を呼んだ。ところが、われわれが喜びに浸っていた最中の5月12日、四川汶川大地震が発生した。

2008年5月15日、坂東玉三郎(中央)は昆曲『牡丹亭』を演じた

1924年10月21日から4日間、梅蘭芳は東京で『天女散花』を連続公演した

 その時、私は公演前の準備のために車で劇場に向かっている途中だったが、車が突然、上下に大きく揺れた。私は地震だとは思いも寄らなかったため、運転手に気を付けて運転するようにと小言を言ったほどだ。劇場に着くと、四川で大地震が起き、すさまじい被害が出ていると教えてくれた人がいた。程なく玉三郎も到着したが、彼のほうが地震情報に詳しかった。玉三郎は大昔、梅蘭芳が使った楽屋で「これは宿命かもしれない」と私に沈んだ声で語りかけた。梅蘭芳先生の訪日公演前に関東大震災が起きたからだ。今、われわれはどうしたらいいのだろう。
梅蘭芳の子息梅葆玖と会見する坂東玉三郎

北京で昆劇公演をするとき、四川汶川大地震が起こった。被災地に義援金を寄付する玉三郎

 12日から15日までのチケットは既に販売されており、いまさら公演を中止するわけにはいかない。そこで、玉三郎が思い付いたのが、この間の収入を全額被災地に贈ることだった。直ぐに、玉三郎が観客に向けて挨拶文を作成したため、それを書道家の徐玉良先生に毛筆で書いてもらい、劇場の入り口に張り出した。「今この時も、震災に遭われた皆様は難渋されておられ、支援の手を切実にお待ちです。今夜の公演から、私は同情の気持ちと被災民の皆様を支援したい気持ちを込めて舞台をつとめます。観客の皆様も私の気持ちをお汲み取りの上、ご覧いただきたいと存じます」。また、この挨拶文を毎日の公演前に朗読し、観客に感動が伝わった。この公演収入から55000元を被災地に贈った。玉三郎に対して、中国文化部(省に相当)と赤十字会から謝意が伝えられた。これは汶川大地震に対する外国人芸術家の義援金第一号だった。また、これは梅蘭芳の善意を引き継いだ中日伝統演劇交流史に刻まれた震災救援の佳話に違いない。
 
人民中国インターネット版 2011年5月

 

 

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