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中国青年代表団メディア分団訪日レポート④忘れ難い民泊体験、忘れ難い日本の家族

 

文=段非平

今回の日本訪問には民泊体験があると聞いて、私は興奮すると同時に心配にもなった。日本語が少ししかできない私は、その家の人たちとうまく交流できるだろうか? 何を話せばいいのだろうか? 日本人は礼節を重視するというが、私は無意識のうちに失礼なことをやらかさないだろうか? などと考えたからだ。

私たちのホストファミリー酒井さん一家

不安な気持ちのまま、もう1人の団員とともに私たちを受け入れてくれる家に向かった。すると、家に着く前から、外に出て私たちを待っていてくれている四人の笑顔を発見し、私は心が軽くなった。「你们好!欢迎!快进来吧!」と、少しぎこちない中国語で奥さんが声をかけながら、手を引いて私たちを家に招きいれてくれた。

私たちがおじゃましたお宅は6人家庭で、ご主人の酒井克明さんは農業機械の会社を経営している。奥さんの裕代さんは専業主婦で、性格は明るく笑顔を絶やさない。今回の活動に参加したのも奥さんの発案だという。彼女はこうした民間交流の形式が大好きで、人と人の直接の交流がより真実でおもしろいと感じている。私たちの以前にも、米国、英国、インドや台湾地区からのお客を招いたことがある。克明さんの母の和子さんは今年75歳になるが、私たちの前後をきびきびと動き回る様子からは、とてもそんな年齢には見えない。和子さんは旅行が好きで、中国の北京や上海、桂林などにも行ったことがあり、中国の美しい景色が大好きで、独学で中国語も学んでいるという。酒井家には3人の息子さんがいて、上の2人は家を出て学校の宿舎で生活しており、今は三男の絢大くんだけが家に残っている。絢大くんは今年13歳の中学生で、何かを話すとすぐに顔を赤くしてしまうほどのはにかみ屋だ。

みんな座って、遅くまで楽しくおしゃべりをした

酒井さん一家は私たちのために豪華な夕食を準備してくれた。しかも、私たちが日本食を食べられないことを心配して、特に近所の中華料理店から中華料理も取り寄せてくれていた。食事の時、裕代さんは、私たちに手巻き寿司の作り方を教えてくれた。私たちは何度も失敗したが、彼女の忍耐強い指導のおかげで、ついにはきれいな手巻き寿司が完成した。

夕食の後は、みんなで自分の生活や趣味、物事についての見方など、いろいろなことを話した。奇妙なことに、初対面にもかかわらず、私たちにはまったくよそよそしさはなく、まるで家族とおしゃべりをしているようで、気がついたら12時を過ぎていたほどだ。

翌日は民泊した団員たちの集まりがあり、みんな浴衣を着て参加することになっていた。私たち2人がみんなの前にきれいな姿で出られるように、和子さんは家の浴衣を全部並べて私たちに選ばせてくれただけでなく、特に知人を頼んで着付をしてくれた。愛すべき和子おばあちゃんは「安心なさい。きっと彼女が2人を会場でいちばん美しくしてくれます。きっと、みんなうらやましがるでしょう。もしきれいにならなかったら、彼女とはもう絶交です」と笑った。

酒井さんと裕代さんは、私たちとともに民泊家庭の集まりに参加した

会場に着くと、十数家庭が1つの大家庭になったようで、みんな自分の宿泊した家庭での楽しかったこと、おもしろかったことを分かち合った。雲南日報の趙丹青さんは3人家族の家に宿泊したが、彼女が寂しがるのではと、家の人たちは近隣の子たちを誘って焼肉パーティーを催してくれた。20名以上の若者が焼肉をしながらおしゃべりをして、たいへんに盛り上がったという。

メディア分団秘書長の胡祥さんは野菜農家に宿泊したが、ここで得がたい野菜の出荷体験をしたという。早朝に起きて、新鮮なたまねぎを近くのスーパーマーケットまで配送したのだ。

にぎやかに盛り上がった民泊家庭の集まり

素晴らしい時間はあっという間に過ぎ、去りがたい気持ちでも別れの時は来てしまう。私たちの乗るバスの前では、みんなが抱き合い、記念撮影をして別れを惜しみ、多くの人が涙をためていた。たった一晩の民泊だが、みんなの心はひとつに結ばれていた。バスが動き出しても、民泊家庭のみなさんはその場を去ることなく、バスが見えなくなるまで手を振り続けてくれた。たった一晩だが、民泊家庭のみなさんは私たちに素晴らしい多くの思いでを残してくれた。私はこの素晴らしい思い出がきっとすべての団員の宝物となるだろうし、永遠に心に残る宝物になる価値があると感じていた。

 

人民中国インターネット版 2011年7月8日

 

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