現在位置: 中日交流
震災後の日本を見て
地方政府対外宣伝幹部が所感

 

日本の経験を学ぼう 

鄭明武 安徽省人民政府新聞弁公室副主任

訪問を通じて、私は深い歴史的な機縁に根差した中日両国国民の親密な関係をしみじみと感じることができました。中国と日本の世代にわたる友好を大切にし、守り、推進しようとする理念が、日本社会の各界に深く根付いています。これが主流だと思います。中日両国の善隣友好関係を発展させるのは両国の戦略的利益と一致し、そのために努力する責任と義務が私たちにはあります。

訪問中、日本国民の自然災害に対応するしっかりした自信と効率的な対策を深く感じました。この点は、我々は謙虚に日本の進んだ経験をまじめに学ばなければなりません。日本の経験の大きなポイントは予防にあります。宣伝という点から言えば、私たちの地震や津波など自然災害に関する知識の普及は非常に不足しています。私たちは原子力エネルギーの科学的、安全な利用と潜在的な危険についてはまったく経験不足なので、決して盲目的にがむしゃらには進んではいけません。

訪問によって、今が中日の経済貿易と文化の交流にとって有利な時機だと深く感じました。世界で最も発達した国の1つとして、日本の中央政府から地方政府までの対外宣伝活動の重視、表現の態度や専門的な運営も、私たちはまじめに学ぶべきです。それと同時に、経済大国として、地震発生後、東北地方の自動車、機械などの産業の外部移転に拍車がかかっており、これも中国国内の装備製造業のレベルアップの大きなチャンスです。安徽省にとって、日本は2番目の外国投資者で、今年の年末、安徽省の省都・合肥市は日本で大規模な企業招致活動を行う予定です。大きな成果を収めることができると信じております。

 

唐招提寺に唐の気風 

石剛 天津市人民政府新聞弁公室処長

今回は初めての日本訪問でした。見たもの聞いたこと全てが知らないことずくめで新鮮でした。奈良にある唐招提寺が私にはとても印象深く、中日友好への認識をいっそう深めることができました。

盛夏の奈良は草木が青々と茂り、日本の古都の風格を感じさせました。その中の1200年以上の遺風を保つ唐招提寺はとても荘厳です。この奈良西京五条町に位置する寺は、唐代の鑑真和上が建立したもので、1200年の風雨にさらされてもなお、759年の建立当時の構造と風貌を保っています。

唐招提寺に入ると、たちまち「唐の気風」を感じました。唐招提寺の西山明彦執事長は、彼ならではの微笑みをたたえて、私たちをタイムストリップさせ、当時の深く感動に満ちた美しい物語に案内しました。日本では「不惜身命」という言葉で、鑑真和上のこの東渡の壮挙を形容しています。つまり、命を顧みず、さまざまな困難を克服しながら日本へ来て、日本仏教の発展と日本国の発展に大きな貢献をしたことを言ったものです。

鑑真和上の墓地の傍に建つ「趙樸初居士之碑」

鑑真和上の墓は唐招提寺内にあり、周りは樹木が空高く聳えており、地面を覆うコケはまるで大昔に戻ったような感じを与えます。西山執事長は石灯籠の前に足を止めた。1980年、鑑真和上像が北京と揚州に里帰りした折、当時日本は同じような石灯籠を2基作りました。1基は今見たもので、もう1基は鑑真和上のふるさと―江蘇省揚州の大明寺に置かれていました。石灯籠の近くに中国仏教協会の元会長趙樸初氏がここに残した詩があります。その中に「兄與弟、倍相愛」という1文があります。兄は揚州の大明寺を指し、弟は奈良の唐招提寺を指しています。

鑑真和上の墓からわずか10㍍余り離れたところに趙樸初氏の石碑があり、その下には趙樸初氏のメガネと手袋が埋められています。この石碑は趙氏の―永遠に鑑真和上のお側に伴いたい―という願いがかなったものです。

名残惜しく西山執事長と世に聞こえた古寺に別れを告げました。その堂々とした唐風の大殿を振り返って見ると、姿形は見えなくなりましたが、心の奥底に深く刻まれ、きっと永遠に残るでしょう。

今回の訪日の旅を通じて、中日友好に対する認識をいっそう深めました。中日両国は、引っ越すことのできない隣同士です。互いに信頼しあい、交流を強め、協力を促進し、互恵の発展をはかることこそ、両国国民の根本的な利益と一致します。中日双方はそのために絶えず努力し、両国国民に幸福をもたらすべきです。

   <<   1   2   3   4   5   >>  

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850