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インタビュー【女優】中野良子 さん 中国と出会って悟った「平和文化」の大切さ

 

――『女優』に出演の話を受けた時のお気持ちは

プロフィール 中野良

愛知県出身、1971年『天下御免』で一躍人気スターとなる。1979年映画『君よ憤怒の河を渉れ』『お吟さま』が中国で上映、人気を博する。国連50周年記念に学校や教育番組を日中共同制作。2010年広州アジア大会や清水寺、西安大慈恩寺で『さくら』を披露。ユネスコ・アジア文化センター顧問。著書『星の詩』。現在、俳優活動とともに講演やシンポジウムなどでも活躍。

日中国交正常化40周年の記念の映画をつくろうというのに、寺西監督があまり中国を知らなかったことにはびっくりしました。大胆ですねぇ。

けれども、ゼロから日中関係に関わっていくのも、若い世代にとっては自然なことなのかもしれません。33年前、私は自分の映画を何億人もの中国の人がご覧になった後に中国に行きました。寺西監督はそれとはまったく逆の状態で始めたわけですね。

物語で描かれている、離ればなれになった親子の関係は、日本と中国の関係に置き換えることができます。今回、私の役は、時々親子の間を取り持つ役なのですが、それが日中間に立つ私の関係にも重なります。これまで何十回も、両国の間の関係を取り結ぶお手伝いをしてきました。

――長い中国との付き合いの中で、何を得られたのですか

中国と出会ったことで、映画以外の世界がすごく広がりました。人生に対する意識が変わり、世界を見直すための新しい眼が備わりました。それまでは海外といえば、遊びや気分転換に行く所でしたが、1978年に初めて中国に行った時に、宇宙の別の星に着いたかと思うほど驚きました。

中国はとにかく大きく、人も多く、社会システムも当時は全く違います。その中国とお付き合いしてゆくには、日本人は心してかからなければならないと感じました。そして、どの方向に自分の情熱を向けて生きていけばいいか、模索が続きました。

1995年、両国の理解促進のための日本文化会館を南京に建てたいと思いました。しかし建てたとしても、維持費が大変なので、河北省の秦皇島に小学校を建てたらと提案されました。数カ月考えましたが、最終的に「秦皇島中野良子小学校」を建てることにしました。

校舎を太陽熱吸収型の設計にし、零下10度でもいっさい暖房器具を使わずに、昼間に太陽熱で暖めた空気が部屋に流れるようにしました。小学校を建ててから数年後、中国中央テレビの『芸術人生』という人気番組に出演した際、その学校の校長先生と生徒さんが木の実や果物をたくさん持って、はるばる会いに来てくれました。

今でも「日本国・中野良子」という宛名で、中国から贈り物をいただくことがあります。最も感動したのは、私が天女になって空を飛んでいる絵です。天女は、中国では「幸せを運ぶ」と言われ、古代の雲南省の壁画にも描かれています。その期待に応えなくてはいけないという思いで、ドキュメンタリー映画の主人公として雲南省のシーサンバンナ(西双版納)に行くなど、珍しい経験をしてきました。

――中野さんはよく「平和文化」という考えを話されていますね

「平和文化」というのは、どうしたら平和が維持し続けられるかということです。この言葉は、中国と出会わなければ、生まれませんでした。外国人同士や、立場の違う人、世代の違う人と初めて出会って、お互いの間に生まれた「何か」を育てることが「平和文化」の本質です。

例えば、日本のような島国の人たちには、中国の大陸的な、大胆な気質はなかなか理解しにくいのです。相手のことを良く知ると、世界の中で楽に生きて行けるのです。

また、日本人の場合、中国とうまくやっていくには「逆もまた真なり」と常に考え、置かれている状況を逆の見方でとらえられる余地を持っていなければなりません。

成功しても、何か起きるかもしれません。また大失敗しても、いいことの始まりかもしれないと思うことです。中国と「平和文化」を築くためには、これくらい大胆な精神世界を持っていなければならないと思います。

これからもっと「平和文化」を築いていくためには、映画や歌などさまざまな手段があります。両国民は親しみを持って歩み寄り、お互いの特徴を知ることがその第一歩です。

1988年、北京で子供たちと楽しく踊る中野良子さん(写真提供・中野良子さん)

――これからの中日関係は

今から十数年前、百人以上の両国の若者が参加する「平和万里行」プロジェクトが行われ、8月15日に瀋陽に到着する予定でした。開催責任者の中国人が「何が起こるのか分からず怖いので、中野さんがいれば安心。どうかいっしょに行ってください」と言ってきました。

話を聞くと、これは日本の若い人が、机の上で中国を勉強するのとは違う、身体で中国を感じる良い機会で、意義のあるプロジェクトだと思い、参加することにしました。

瀋陽に着いたその日、花火が上がりました。日本人のチームは少し怖くなり、「大変な時に着いてしまったね、静かにしよう」などと言っていました。すると目の前に「中野良子平和大使、歓迎」と書かれた横断幕が現れました。夢のようなことが起こり、驚くとともに、中国とのお付き合いを続けてきてよかったと心から思いました。

最近では、日本と中国の間に、お互いよく分からずに怖がっているところがあります。しかし、知るべきことを知ったうえで、深い心を持って「平和文化」を築いていくことが必要だと思っています。

 

人民中国インターネット版 2012年7月12日

 

 

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