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「欧陽修書簡」なぜ日本で発見?鎌倉幕府が南宋の最新版購入

厳聖禾=文・写真

2011年10月、日本のメディアによる一本の記事が中日両国の古代中国文学研究界に波紋を広げた。中国本土ではすでに伝承が途絶えていた北宋(960〜1126年)の著名な文人・欧陽修の書簡96篇が、意外なことに、奈良県の天理大学付属図書館で発見された。これは一体どういうことなのだろうか? さらに、この新発見にはどのような意義があるのだろうか?

大切にしている『欧陽文忠公集』を手にする東教授

長年にわたって中国古代文学を研究している九州大学大学院比較社会文化研究院の東英寿教授がその経緯を説明してくれた。

原刻本考証で意外な発見

東教授の当初の目的は、欧陽修の書簡探しではなく、欧陽修全集のどの版本が南宋(1127〜1279年)の政治家、文学者の周必大が編さんした『欧陽文忠公集』の原刻本かを考証することだった。中国国家図書館、宮内庁、奈良天理大学付属図書館が、それぞれ、周必大編さんの原刻本を所蔵していると称していた。これに疑問を抱いた東教授はこの三種類の版本について比較研究を始めた。

細かく比較した結果、いずれも周必大の原刻本ではないことが判明した。その理由は、これらの「全集」の書簡部分はすべて後で追加された痕跡が見つかったからだ。さらに、これらの書簡を比較していた際、天理大学所蔵版本が、中国国家図書館所蔵版本、宮内庁所蔵版本と比べて書簡が96篇多いことを発見した。

これが新発見だということを証明するために、東教授はわざわざ中国国家図書館を訪れ、再調査に着手した。その結果、明の永楽18年(1421年)に出版された『欧陽文忠公集』内府本、清の乾隆46年(1782年)に編さんされた四庫全書本、民国時期(1912〜1949年)の4部叢刊本など歴代の中国皇室、政府が出版した「全集」にはいずれもこの96篇の書簡が収録されていないことが確認された。東教授はここで初めて、自分が大発見をしたという確信を持った。

歴史の書き直しが必要に

『欧陽文忠公集』は1000年来、数えきれないほど編さん・再版されてきたが、なぜ今になってこの書簡96篇が異国の日本で発見されたのか? 東教授は次のように説明してくれた。「これは中国国家図書館所蔵の版本が相対的に完全で権威があると考えられ、誰もがこの版本を読めば事足れりだと考え、他の版本と全面的に比較したことがなかったのが主な理由だろう」

周必大編さんの『欧陽文忠公集』が出版された後、後世の人が収集した書簡19篇を加え、その増訂本が南宋皇室に献上され、明代(1368〜1644年)に公開・出版された。それ以降、この版本が後世、欧陽修全集を修訂・編集する際の基礎となった。

東教授が購入した3種類の『欧陽文忠公集』版本

しかし、上述の増訂版が誕生した後、新たに96篇の書簡が収集され、それらを加えた最新版の『欧陽文忠公集』を出版された。一方、鎌倉幕府は1259年、「金沢文庫」を設立するために、南宋に人を派遣して、大量の書籍を購入した。その中に、この最新版の『欧陽文忠公集』も含まれていた。その前の版本がすでに南宋皇室に献上され、非常に重視されていたため、最新版は中国国内で次第に伝承されなくなり、逆に、日本では適切に保存され、今では、国宝に指定され、天理大学付属図書館の所蔵となっている。

それでは、天理大所蔵の『欧陽文忠公集』の書簡96篇は、日本人によって偽造された可能性はないだろうか?

東教授は引き続き、中国国家図書館が所蔵する他の版本の研究を続けた。その結果、ある版本に収録された書簡のうち36篇が天理大で発見された96篇とまったく同じだと気づいた。この発見によって、96篇が偽造ではないことが証明された。東教授の紹介によると、天理大の版本は南宋時代に出版されたものだが、ただ出版された年代は中国国家図書館所蔵本、宮内庁所蔵本より少し遅いそうだ。

今回日本で発見された欧陽修書簡は、中国国内の研究界で大いに注目されている。現在、上海の雑誌『中華文史論叢』はすでにこの96篇の全編掲載を決めた。また天津南開大学中華古典文化研究所も東教授を講演に招聘した。東教授は「大量の欧陽修書簡が新たに発見されたことによって、これまでに出版された欧陽修関連の全集、欧陽修の文章をすべて収めた『全宋文』などの宋代の歴史資料はおそらく書き直さなければならないだろう」と、語っていた。

 

人民中国インターネット版

 

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