――日本科学協会、天津外大訪問
天津外国語大学 李钰婧
2013年10月29日、私たちは天津空港で3人の友人を迎えました――日本科学協会教育・研究図書有効活用プロジェクト室の顧文君室長、同プロジェクト室の吉田玉果係長、および中国教育図書輸出入会社国際贈書センターの郭亜玲主任。今回、顧先生一行は天津外国語大学への贈書プロジェクトについての現地調査のために天津にやって来ました。
今年の夏休み、私が日本科学協会の招待を受けて日本を訪問した際、顧先生や吉田さんたちは訪日団とともに常に側にいてくれ、私たちに心のこもった温かいもてなしをしてくださいました。それからたった3カ月後に二人と再会できるとは、想像もつきませんでした。心の中が二人に対する懐かしさや期待でいっぱいだった私は、顧先生たちの姿を見るや否や思わず駆け出し、二人を抱き締めました。懐かしかった優しさ、懐かしかった笑顔、懐かしかった温もり。郭先生とは初対面とはいえ、先生の親切心に感動しました。
空港を出て上を見上げると、朝までどんよりしていた空が、なんと晴れ渡っていたのです。透き通った青い空、暖かい金色の日差し。お日様の光に染められて輝く並木の葉も、壁一面に這っている赤々と焼けている藤蔓も、心を打たれるくらいの秋の光景でした。学校に向かう途中、車内では旧友再会の歓声が溢れ、外の並木はまるでその歓声に感動しているかのように、そよ風とともに舞っていました。
天津外国語大学は、天津市でも有名な観光地の一つであり、五大道に位置しています。道路脇には、悠久の歴史を有し、西洋情緒が溢れる洋風の建物が整然と建ち並んでいます。各建物すべてが見るからに自分の歴史を語っているようであり、各国の様式をもった建物が互いの雰囲気を邪魔することなく、友好的に並んでいます。
しかし、物には感情はなく無欲であり、自然のままに存在しています。それに対し、人間には感情があります。心の調和がとれ、且つ友好的な状態であれば何事もうまくいくでしょう。友好――そう、今回日本科学協会の天津外大訪問で最も感慨深かったのは、まさしくこの友好の2文字。単なる2つの部門の友好という意味だけではなく、中日両国民間交流の共感だと私は思っています。思えば、「縁」というものは何と不思議なのでしょう。何かのきっかけで芽生え、根を広げ、最後には実りをつけるのです。現在の友好は、正に人民中国雑誌社が主催した「笹川杯作文コンクール2012――感知日本」によるものだと感じています。このコンクールで優勝したからこそ、私は人民中国雑誌社との友好の絆を結ぶことができたのです。その絆はあの夏に日本へと広がっていきました。中日両国の若者の友好的な交流やいくつかの問題について互いの意見を交わすことで交流を深め、絆という大きな花を咲かせたのです。私も日本訪問をきっかけに日本科学協会の皆さんと知り合いました。そして今、友好の輪はますます広がり、海を越えて数多くの中日友好のために頑張っている人々の心を繋ぎました。
学校に到着してから私たち一行は図書館を見学し、日本語原書についての状況を調べ、丁寧に記録をしました。それから、田耀館長および副館長とともに会談を行いました。初対面とはいえ、まるで馴染みの深い友人のように話し合い、意見交換をすることができました。その間、顧先生は日本科学協会を紹介し、今回の贈書プロジェクトについて詳しい説明を行うなど、会談は終始和やかな雰囲気で行われました。その後、私たちは教室へ移動し、日本語学部主催の座談会に参加した後、最後に本校の修剛学長が顧先生一行と会見しました。
公務会談終了後、顧先生や吉田さんと手を繋いで夕食会に出席しました。そこで私たちは特別に天津ならではの民間芸能である「快板」の演技披露をお願いしました。目の前に現れたのは、中国人に馴染みのある紺色の丈の長い服を身にまとった人物。「快板」とは竹で作った板をリズムに合わせて叩き、天津の方言でスラスラと物語をつむいでいくような演技なのです。吉田さんはその演技に興味津々で、携帯電話でその様子を撮影していました。他の皆さんも楽しく語り合い、やり取りをしながら友情を深めていきました。その瞬間、ふと夏の懐かしい思い出が蘇りました。あの時と同じ和やかさ、楽しさ、そして友好。私は、中日友好交流に最も重要なのは、やはり民間交流だと思っています。実際に、中日政府が堅持している「民間の力で政治を促進させ、文化の力で外交を促進させる」という理念も大きな役割を果たしていると思います。私たち一人一人はその交流における一員であり、誰であろうと身近なことから中日友好のために行動することができます。ここで、日本科学協会のように友好交流を目指している全ての公益団体に対し、感謝の気持ちを表さなければならないように思います。そのような団体の推進力があってこそ、中日友好交流事業がより一層発展するための環境を得られるのです。
楽しい時間はいつもあっと言う間に過ぎてしまいます。翌日、再び名残惜しい別れの時となりました。私は空港で顧先生や吉田さんたちを抱き締めました。寂しそうな目の中にはうっすらと涙も浮かんでいました。入口まで付き添うことはできないため、私は先に帰らなければなりません。繋いでいた手は、ついに離れてしまいました。私の立ち去る姿をじっと見送ってくれた3人からは、寂しげな雰囲気がただよっているように感じました。私も3人が見えなくなるまで、ずっと3人の方向を見つめていました。
あっと言う間の1日、あっと言う間の再会。
今回は日本での別れよりもさらに辛く感じました。しかしその辛さを経て、今私の心は大きな希望で燃えています――きっと、きっとまた会える。私はそう、信じています。
人民中国インターネット版 2013年11月12日
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