三国人物の隈取り・蒋幹

 

蒋幹、字は子翼は、三国時代(220~280年)の人物で、現在の安徽省寿県出身である。『三国志演義』において、地位もそれほど高いというわけではなく、登場するチャンスも少ない蒋幹ではあるが、その知名度は極めて高い。

 

赤壁の戦いの前、曹操はみずから百万の大軍を率いて長江を渡り、一気に呉を攻め落とそうとした。しかし、北方の兵士は水上の戦闘には慣れていない。荆州から降伏した将領の蔡瑁、張允を得たのを幸いに、二人を水軍都督に任じた。

 

曹操配下の策士である蒋幹は、かつて呉の都督周瑜の同窓であった。彼は周瑜に降伏するよう説得する役目を願い出て、呉に赴いた。ちょうどそのころ、蔡と張の二人が曹操の水軍訓練に手を貸すことが大きな災いとなることを、周瑜は憂慮していた。そこで自分を説得にきた蒋幹を、逆に計略にはめようと考え、「群英会」と銘打った宴会を催した。周瑜は、蔡と張が書いたとみせかけた呉に降伏することを記した偽の密約の手紙を、蒋幹に盗み出すよう仕向ける。離間の策にまんまと引っかかった曹操は、蔡と張の二将を誤って殺してしまう。

 

さらに、名士・龐統が周瑜に曹操を破る良策――「連環の計」を献じる。曹軍を火攻めにするため、曹操に戦艦を連ねることを勧める策略である。いかにして龐統を曹操に会わせるかと周瑜が悩んでいると、蒋幹がやって来る。こうして龐統は、蒋幹によって曹操に引き合わされた。連環の計を軽々しく信じてしまった曹操は、結局赤壁の戦いで焼き討ちされ、惨敗した。

 

蒋幹は、さまざまな才能や技芸に長け、豊かな知識や識見を持ちながらも、二度も周の計略にかかってしまった。こうして蒋幹は、「事を成し遂げる力はないくせに、事をぶち壊す能力は十分」として、役立たずの儒者の象徴となった。

 

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